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『色褪せた箱』

3年たったら迎えに来るよ。
そんな歌の文句のようなセリフを残して、町を出た。
薄暗い神社の境内で、
「明日は見送りに来なくていいよ。3年たったら迎えに来るから」
しかし、何も持たない若者のポケットを、都会はたちまち満たしてくれた。
約束のことなど忘れて、時は流れた。

元々、迎えに戻るつもりなどあったのだろうか。
子供だった2人には、3年というのは、とてつもなく長い時間に思えたはずだ。
何でも起こり得る長さ。
そして、何でも変えてしまう長さ。

一度だけ手紙を書いた。
当たり障りのない、上手くいっているという手紙。
返信が来た。
3年、楽しみに待ってます。

3年の月日は思っていたよりも早く過ぎた。
振り返ってみた時の、その時間の短さに気がつけばわかったはずだ。
その先の時間も、同じように短いはずだと。
だが、その頃には、前しか見ていなかったのだろう。
つい振り返ってしまうほど、背負うものはまだ重くなかったのかもしれない。
何の印もない3年目は、旅人が駅を乗り過ごすように過ぎてしまった。
もう引き返すよりも前に進んだほうがいい。
そう言い聞かせた。

成長するというのは、忘れたいものを忘れられるようになることだ。
小さな箱に詰めて、引き出しの奥深くに隠してしまう。
時は流れ、引き出しも、小さな箱も朽ち果ててくる。
3年などよりも、もっと長い時が渦巻くように流れ続ける。

そして、老いるというのは、その忘れたはずの箱を、もう一度見たくなることだ。
壊れかけた引き出しの奥を探り、すっかり色褪せた小さな箱を見つけだす。
誰もが、そんな誘惑に駆られる。
色褪せた箱の中身は、しかし、色褪せてはいないはずだ。
何の根拠もない確信を、抱いてしまう。
それが老いるということだ。

私は、帰郷した。
仕事から引退し、もう一度だけ生まれ育った町を見たかった。
仕事に明け暮れた日々。
果てしない都会の群衆の中で、少しでも上に這い上がること。
それだけを考え続けた。
そんな生活も、やがては、誰に讃えられることもなく終わりを告げる。

ついに、家庭を持つこともなかった。
決してあの約束を思い続けていたわけではない。
そんなものは、この年になるまで思い出しもしなかった。
それが引き出しの奥にあることさえ。
ただ、来し方を振り返り、これくらいの我がままは許されるだろうと思ったのだ。

駅も新しくなり、周囲の様子もすっかり変わってしまっている。
今なら、この町を出ようなどという誘惑に駆られないかもしれない。
そう思うほどだ。
都会で見たことのある店もある。
幼い頃、かくれんぼに使っていたような路地が、バスの通る大通りに変わっている。

歩き回っている間に、陽が傾き始めた。
こちらだろうと予測をつけて、新しくなった道を歩きだす。
ゆるい坂道を上った突き当たり。
その記憶通りの場所に、神社はあった。
そこだけは、時の流れに取り残されたようだ。

境内の端に据えられたベンチ。
町が見下ろせる場所として、2人のお気に入りだった。
今時珍しく、セーラー服の女の子が腰掛けている。
町の方を向いているため顔は見えない。
それでもわかるのが面影というものか。
記憶の中から浮かび上がる顔。
体から力が抜ける。
いや、そんなはずはない。
あれから、3年どころではない、何十年の時が流れたというのか。
実際に、孫と言ってもおかしくない年頃だ。
そんなはずはない。
背を向けた。

その時、女の子を呼ぶ、少し年老いた声。
立ち止まる。
舞い戻る時の流れにつられて、振り向きそうになる。
だが、それはするべきではない。
「あ、おばあちゃん」
女の子の立ち上がる気配。
足音が遠ざかるのを待って、再び歩き出した。
開きかけた色褪せた箱。
そのふたをしっかり押さえながら。




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