見出し画像

『黒い革手袋の下に』 # シロクマ文芸部

ガラスの手に握り返されると幸せになれる。
そんな言い伝えをご存知だろうか。
もし、知っているなら、あなたは我々と同じ業界の人間だ。
しかし、我々の業界の人間は、知っていても知っているとは決して言わない。
だから、あなたの答えなど、はなから信じてはいないわけだが。
彼の正体を知るものに、私は今まで会ったことはない。
とある国の特殊部隊員であったとか、生まれた時から、養成学校で訓練されたとか。
そんな学校があると言うのも、明らかではない。
そもそも、我々の業界に明らかなものなど何もない。
明らかなのは、標的を仕留めると報酬が得られる、そのことだけだ。
それと、もうひとつ、彼の左手がガラスでできていること。
彼の黒い皮手袋の下が、いつからガラスになったのか。
とある仕事でしくじったとも、生まれつき左手が備わっていなかったとも、手錠から逃れるために自ら切り落としたとも。
ガラスのような壊れやすいものを何故選んだのか。
何かを己に戒めるために儚いガラスを選んだなどと言う者もいるが、そんな青臭い人間が人間を、まるでカーテンを開けるように殺せるわけがない。
あのガラスの指の一本一本に、武器が仕込まれているなどと、スパイ映画のようなことを噂する者もいるが、確かめる術はない。
なにしろ、あの左手に触れて無事だった者はいないのだから。
だから、我々の間では、言い伝えられているのだ。
ガラスの手に握り返されると幸福になると。
もし、握り返されなかった時には不幸になるどころか、不幸になる前にその命を奪われている。
ある意味、それは幸福なことかもしれないが。
だから、忠告しておきたい。
もし、少し暗い目をした男が黒い革手袋の左手を差し出してきても、迂闊に握ってはいけない。
いや、申し訳ないが、こんな忠告も役には立たないだろう。
彼が左手を差し出した時点で、あなたは彼の標的であり、知らぬふりをして通り過ぎようが、慌てて引き返そうが、あなたの運命は決まっている。
正しい忠告はこうだ。
諦めなさい、ガラスの手を差し出されたら。

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,516件

#眠れない夜に

69,460件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?