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『消えた秋』 # シロクマ文芸部

「秋が好き」なんて言うのは、ダザイが好きって言うのと同じくらい恥ずかしいことだった。
何の苦労も知らないお坊ちゃま、お嬢ちゃまならいざ知らず、こんなのは、初心者マークをつけてこれから人生をおっ始めようって奴にだけ許されていることだ。
そう、みんな思っていた。
人生を少しでも自分で歩き始めて、この人生が遠目に見ていたような直線でもなく、平らでもないと気づいてからは、誰もそんなことは口にしなくなった。
それが、大人になるっていうことでもあった。
大人なら、
「残暑の太陽光の中にふと混じる秋の一筋の光が好きだ」
とか、
「冬がすぐそこにいるのはわかっていても、つんと知らないふりをしている晩秋の街並みが好きなの」
とか、そんなふうに言うもんだった。
「秋が好き」なんて口にしようもんなら、
「子供だねえ」
「若いねえ」
などと指をさして笑われるのがおちだった。

その秋が失踪した。
夏が終わりに近づいて、そろそろだぞとみんなが思っている、その、そろそろだぞと思う日がいつまでも続いて、気がつけば、冬になっていた。
そして、バランスをとるかのように春もいなくなった。
まるで、秋と春が、人知れず打ち合わせをして、密会を重ねて、駆け落ちをしたみたいだった。
みじめなのは、残された人々だ。

それまで妻の名前など呼ぶこともなく、まともに会話もせずに過ごしてきた夫が、ある日、妻の書き置きをみて、がっくりと膝をつく。
そして、暗い夜空に妻の名前を叫ぶ。
「帰ってきえくれー。本当は好きだったのに」
人々は、見えない秋に呼びかけた。
「本当はみんな、秋が大好きだったんだよ。ちょっと、斜に構えたりして強がってみただけなんだ。悪かったよ。戻ってきて、もう一度やり直そうよ」
しかし、秋も、秋に手を引かれた春も、戻っては来ない。

もちろん、秋がすべてを持ち去ったわけではない。
人々は、梨や栗を食べては、秋を思い出し、鰯雲を眺めては、秋を守りきれなかった己の罪に胸を痛めた。
そして、冬が終わり、桜も散る頃になると、一生という広過ぎる部屋にひとり取り残されたことに、肩を震わせる。

「秋が好きだ」
人々は2度と同じ間違いを犯さないように、素直に愛を告げるようになった。、

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