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君たちは老害と呼ぶが、僕たちは君たちを害だと思ったことは一度もない

老害とは、よく聞く言葉だ。
この言葉、ここ最近のものだと思っていたら、そうではないようだ。
国語辞典にも載っている。

企業や政財界の指導者層の高齢化により、現状に即応した態勢がとれなかったり 若い人の活動がはばまれたり する状態

新明解国語辞典

しかし、現在この言葉の意味するところは、もう少し広範囲に及ぶ。
企業の中に限らず、社会全体における老人の言動に対しても用いられている。
さらには、老人、老いることそのものが害であるかのようにも用いられている。

もしそうだとするならば、今の世界はその老害と呼ばれている人たちが作り出した世界だと言うことをお忘れではないだろうか。
そのシステムは、いい面も悪い面もあるだろう。
しかし、その高速道路、新幹線、高層ビル、海底トンネル、すべてがそうだ。
少なくとも、若い人たちが快適に過ごせている社会は、もちろん個人的にはいろいろあるだろうけれども、若い人たちが悩みながらも享受している便利さは、若い人たちが老害と呼ぶ人たちの作り上げたものだ。

誰でも、ある日突然老人になるのではない。
少しずつ、一年、一日、一分、一秒、老いてゆくのだ。
老人は、どこか別の大陸にいるのではない。
若い人の暮らす、その大地の地続きの果てに暮らしている。
いつまでも若いと思うのは、1学期が終わった小学生が永遠に夏休みが続くと考えるのと同じくらいに、愚かなことだと老人は知っている。
一方で、若い人にはそんなことが理解できないことも、老人は知っている。
だから、老人は若い人を害だなどとは考えない。

老害でよく言われることのひとつに、クレーマーと化した老人のことがよく語られる。
僕が35年以上、クレーム処理に関わった経験から言えば、クレーマーの割合は、40代以下の若い人が圧倒的に多い。
少なくとも、タクシー業界ではそうだった。
老人のクレームももちろんあるが、きちんと訪問して、事情を説明し、お詫びをすれば許してもらえた。
それだけで終わらないのは、ほとんどが若い人のケースだ。
落とし所も考えずに振り上げた拳を、どうしていいかわからずに、その怒りをこちらにぶつけてくる。

とんでも老人などとも言われるが、先日、こんなニュースがあった。

まさに、とんでも若者だ。
これは特別なケースだと言うのなら、老人のそれぞれも特別だ。

最近は、「迷惑老人」なる言葉もよく聞く。
そして、「迷惑老人にならないために」などと言う書物や記事も目にする。

もちろん、認知症などにならないために、日頃から生活に気をつけることは必要だし、いいことだろう。
しかし、迷惑老人にならないためになどと、何をことさら気をつけろと言うのか。
言うならば、「迷惑な人にならないために」だろう。
こんなものが世に蔓延ると、いつの間にか「迷惑老人」が「老人は迷惑」になっていく。

「おじさん構文」「おばさん構文」などと言われるが、むしろ若い人がこっちに合わせろと言いたい。
日本語を乱しているのは、どっちだ。
別に、たかがSNSの文章で目くじら立てるつもりはない。
ただ、本来なら正しい言葉を守る立場のマスコミが、若い人におもねって囃し立てているのが不思議で仕方ない。

老害の特徴のひとつとして、あるサイトではこんなことがあげられていた。
「話が長い。昔の自慢話を繰り返す」
話が長いのは、老人だけだろうか。
営業に来た若い人の前置きが長くて、こちらから「で、今日は何のお話で?」と催促することは何度もあった。
昔の自慢話は、誰でもするだろう。
若い人の口からも、その短い人生の中の数少ない成功譚を聞かされることはよくある。
それに、僕たちが若い頃にもそんな上司はたくさんいて、そこから学ぶことも多かったし、と言うと、そう思っているお前の頭が古いと言われるのだろうが、実際そうなのだから仕方ない。
上司の繰り返される自慢話のなかから、仕事の手順、根回しの仕方、人情の機微、そんな、研修では学べないことを学んでいた。
もちろん、もういいわと思うこともある。
そんな時には、それをどう上手くいなしていくかで、処世術も学んでいたわけだ。

つまり、老害や迷惑老人に当てはまる特徴は、すべてそのまま若い人にも当てはまる。

もちろん僕は、若い人すべてが、本当にこんなことを考えているとは思っていない。
ほとんどは、ネタに困ったコタツ記者と、本を売りたい学者の作り上げたものだと思っている。
いわば、昔はやった口裂け女と同じようなものだ。

だから、もういい加減、こんな言葉に踊らされるのはやめにしよう。
欠点も長所も、人間はみんな同じように持っている。
若いからって、歳をとっているからって、そんなに変わるものではない。
嫌な上司もいれば、嫌な部下もいるのだ。
歳をとって嫌な奴は、きっと若い時から嫌な奴だったのだ。
ただ、その時の環境や見た目で気が付かなかっただけのことだ。

ある集団を作りあげては排除し、別の集団に所属する快感に酔いしれる言説は、やがては国家と国家の争いに繋がっていく。
そんな大層なと言われるかもしれないが、その通り、実は、大層な話なのだ。
少なくとも、僕たち老人は、害と言われようと、迷惑と呼ばれようと、若い人をそう思ったことは一度もない。

さて、次は何に噛みつこうか。
え、それが迷惑?

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