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世界はある?ない?

今、突然に人類が滅亡したら。
そんな映像や画像を見たことがある。
街から人の姿が消えてなくなる。
車はそのまま放置されて、電車は高架の途中で止まっている。
やがて、道路や建物は草木で覆われる。
かつてコンクリートジャングルと呼ばれたものが、本物のジャングルになる。
そこを、鳥がとび、虫が鳴き、動物が走り回る。
やがて、建物は朽ち始めて、高層ビルも倒壊し始める。
河川のコントロールも聞かずに、新しい川の流れができる。
そこを魚が泳ぎ始める。
どこかで火災が起こっても、自然に消えるのを待つしかない。
もしかすると、原子力発電所で事故が起こり、多くのところで生物が死に絶えるかもしれない。

恐ろしい。
と思うだろうか。
誰が?

そこにあなたも僕もいないのだ。
彼も彼女もいない。
あいつもこいつもいない。

怖いと思っているのは、あくまでも、そんな世界を想像している今のあなたであり僕だ。
でも、その世界には、もうあなたも僕もいない。
「怖い」と思う人がいない限り、そこには「怖い」はない。
動物たちにとってはきっと天国だ。
そう思われるかもしれないが、これも違う。
「天国」は、「天国」と思う人がいるから「天国」なのだ。
動物も、昆虫も本能的に快感を感じることはあっても、それを「天国」だなどとは思わない。
2本足で移動して、腕や足以外に何やわからんものを使い、口があっても噛みつこうとはしない、あの変な奴が出てこないので、少しずつ行動範囲が広がっていく。
それだけのこと。

でも、それを「怖い」と思う、誰もそこにはいない。
それ以外の感情を抱く、誰もそこにはいない。
もっと言えば、その世界を見ている人は誰もいない。

そんな世界があると言えるだろうか。

例えば、よく言われることに、「音は存在しない」

音は空気の振動に過ぎない。
その振動が鼓膜に反響して、初めて音になる。
鼓膜がなければ、それはずっと振動のままだ。
聞く人のいない世界に音は存在しない。

それならば、見る人のいない世界など、そもそもあると言えるのだろうか。
人類がいなくなった時、世界は終わると言っても間違いではない。
そして、見る人があなただとすれば、あなたがいなくなれば、あなたのその世界は終わりを告げる。

ちょっと、縁起でもない話になってきたが、逆も有り得る。

音が鼓膜に届き、そこから脳に伝達されて、それが音であると判断し、何の音かが識別される。
同じように、世界もあなたの網膜に映り、脳に伝達されて、そこにそのような世界が存在すると判断される。

例えば、僕はブラジルに行ったことはない。
でも、ブラジルという国が、多分この裏側あたりにあることは知っているし、何なら、サンパウロかどかの街並みを思い浮かべることもできる。
行ったこともないのに。
見たこともないものを、僕は僕の脳に思い浮かべて、そこにあると判断しているわけだ。

僕は月の裏側に行ったことはない。
もちろん表であっても。
でも、思い浮かべることはできる。
僕の脳には、月の裏側のデコボコしたクレーターや石、暗闇、無重力、そんな世界が描かれている。

あなたもそうだと思う。

それと、目の前のこのnoteの画面と、その向こうにある部屋の様子、それがそこにあると思っていることと、何の違いがあるだろうか。

寝ている時に夢を見る。
目覚めて、現実の世界を見る。
どちらを見ているのも、脳の作業だとすれば、どちらか在ってどちらが無いと、どこで判断すればいいのだろう。

夢でなくてもいい。
あなたが誰かを好きになったとする。
告白しているところを想像する。
彼はあなたを受け入れ、あなたを抱きしめる。
それから……
その先はお好きなように空想すればいいが、その世界、それも脳の中にある。
で、我に返ってため息をつく。
その世界も、脳の中にある。

つまり、どんな形であれ、あなたが見る世界は、常に存在する。
そう思えば、いったいいくつの世界があなたにあるのだろうか。
もちろん、僕には僕の世界がある。
誰かには誰かの世界がある。
世界には、世界が無数にある。
そう考えると、なんだか楽しくなっくる。

普通、脳はそれぞれの世界の境目を認識している。
だから、無数の世界があっても混乱はしない。

もし、その境目を脳が見失ってしまったら。
あっちの世界の登場人物が、こっちの世界にやって来てしまったら。
自分があっちの世界に行ってしまったら。
そもそも、それはあっちの世界?こっちの世界?
今、そこは、本当にそっちの世界かな?

そんなことを、つらつらと考えながら過ごす一日でした。

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