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『30年目の心霊写真』

2月期が始まって間もない朝、その席に彼女の姿はなかった。
少し遅れて教室に入ってきた担任は、最低限の言葉で事情を伝えた後に、家族だけの密葬だから君たちは葬儀には参列しなくていいと言った。
話の途中から、あちらこちらで啜り泣く声が聞こえた。
その後、クラスの全員での黙祷。
それでも、女子の何人かは当日学校を休んで告別式に参列したようだ。
「遺書とかは、なかったんだって」
落胆なのか、安心なのか、教室中でため息が漏れた。
しばらくは、彼女の机の上には花が供えられた。
誰が用意したのか、細長い花瓶に生けられて。
だが、それも長くは続かなかった。
誰が置いたのかもわからない花瓶は、誰が片付けたのかもわからなかった。
高2の、そろそろ制服の上着を着る季節。
その30年後に彼女に再会するとは、その時には考えもしなかった。

卒業後、僕は都会の大学に進学した。
お盆や正月には帰省するが、地元に特に仲のいい友人もいなかったので、誰かに会うこともない。
自宅の、まだそのままの自分の部屋で何をすることもなく過ごした。
噂では、その後も毎年彼女の命日には、何人かが同窓会を兼ねて集まっているようだったが、僕に声が掛かることはなかった。
3年になった頃から就職活動を始めて、4年の春には既に内定をいくつかもらっていた。
地元で就職することを期待していた両親は少しがっかりしてはいたが、息子が就職することには嬉しさを隠そうとはしない。
いくばくかの祝い金も用意してくれた。
僕は、そのまま都会で働き始め、20代も終わろうかと言う頃に、2年間付き合っていた同僚と結婚した。
その翌年には、娘が生まれる。

娘が小学校に入る頃から、喘息を患い始めた。
医者はできれば空気のいいところで生活することを勧めた。
僕の地元のことを知ると、あそこならきっと良くなりますよと嬉しそうに言う。
妻とも相談したが、なかなか思い切れなかった。
しかし、深夜にまで苦しそうに咳き込む娘をそのままにはできない。
会社に相談して、年度変わりの4月から、地元の支社に転勤させてもらえた。
娘は、その春から2年生になった。
実家で同居することも考えたが、職場にほど近いマンションを借りることにした。
妻は同居でもいいとは言ってくれたが、いずれ発生するに違いない嫁姑のあれこれを考えると、こちらの気が進まない。

それからしばらくすると、娘の喘息は嘘のように治った。
成長した娘は、僕と同じ高校に入学した。
僕とは違って、友人の多い、明るい子だ。
おそらく妻の影響だろう。
妻は、結婚後も仕事を続けたが、妊娠を機に退職。
そして、娘の喘息が落ち着いてからは、学校行事や地域活動に積極的に関わっている。
その間、僕も会社で順調に昇格を続けた。

そんな娘だから、華やかな都会の大学に行きたいと言い出した時には、驚きはしなかった。
僕とは、動機こそ違えど、反対する理由はない。
高校の卒業式の日、この後の旅立ちを思うと嬉しいばかりではなかったが、親子3人で写真を撮影する時には、無理に笑顔を作った。
校門の前で、3人で寄り添って笑う。
僕のスマートホンのシャッターは、クラスメートの母親が押してくれた。

その夜、妻と娘が眠った後、僕はひとりで写真を見直していた。
入場する時の笑顔、卒業証書を受け取る時の少し深すぎるお辞儀。
友人との泣き笑いの談笑。担任教師とのツーショット。
写真を眺めながら、娘のこれまでのことが思い出される。
そして、校門前での写真。
手が止まる。

向かって右に僕。
真ん中に娘。
そして、その左側に妻。
腕を組んで笑う3人。
その妻と娘のすぐ後ろだ。
今では、女子の制服はブレザーになっているが、その女の子は昔のセーラー服を着ている。
他にもたくさんの卒業生が映り込んでは入るが、その子は明らかに、僕たち3人の構図に入り込もうとしている。
レンズではなく、娘の横顔を見て微笑んでいる。
その頬には懐かしいえくぼ。

彼女だ。

翌日の夕方、僕は彼女の墓の前にいた。
ご両親だろうか、新しい花が供えられている。
その隣に、持ってきた花を並べると、線香に火をつけた。
細い煙が、暮れなずむ空に舞い上がっていく。
僕は、膝を折ると手を合わせた。
どれくらいの時間そうしていたのだろう。
気がつくと頬には涙が流れ、両膝は地面についている。
「君の子供はあの時に堕ろしたじゃないか」

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