『あの頃に戻れるチケット』
これが、「あの頃に戻れるチケット」か。
俺は、封筒の中から、綺麗なデザインのチケットを取り出して蛍光灯にかざしてみる。
それから、しわをつけないように注意しながら、胸に抱き締める。
思わず恍惚のため息が漏れる。
何年も何年も働き続けて、やっと手に入れたチケットだ。
熱があっても休まずに働いた。
親が死んでも休まずに働いた。
切り詰めて切り詰めて生活をして、貯金した。
付き合いには金がかかるために、友人も恋人も作らなかった。
ひとりで、安アパートに住み続けた。
そして、やっと手に入れた「あの頃に戻れるチケット」
浮かれて暮らしている奴らは、一生働き続けるがいい。
俺は、逆だ。
今まで苦労して、これからは、懐かしいあの頃に戻ってゆっくり暮らすのさ。
せっかく手に入れたチケットだ。
もう少し眺めていたいが、いよいよだ。
使ってみよう。
チケットを受け取ると、男は俺を広い部屋に案内した。
真ん中に、高そうなソファが置かれている。
サイドテーブルには、いくつかの飲み物。
「こちらがプレミアムルームでございます」
なるほど、豪華なはずだ。
俺の「あの頃に戻れるチケット」は、中でも最高級クラスのチケットなのだ。
「あちらにおかけになって、ゆったりとお過ごしください」
俺は、ソファに体を沈めると、早速、いちばん高そうなワインに手を伸ばした。
「しばらくすると、部屋が暗くなります。次に目覚められた時には、そこが『懐かしいいあの頃』です」
そう、俺のチケットは、どこに戻るのかをわざわざ自分で決めなくてもいい。
自動的に、俺がいちばん懐かしいと思っている時を選んでくれる。
それが最高級の魅力だった。
自分で選ぶとなれば、幾つも思い浮かんで決められないかもしれない。
それに、戻れるのは1回だけ。
後悔はしたくない。
それなら、最新のサービスに任せた方が安心だ。
ああ、少しずつ部屋が暗くなってきたぞ。
俺は目覚めた。
ここは、見覚えがある。
そうだ、俺の働いていた会社だ。
知っているぞ、あいつは後輩で、あの顔は上司だ。
そいつに、俺は怒鳴られている。
どういうことなんだ。
怒鳴られながら、俺は「はいはい」と頭を下げて働いている。
時間は午後2時。
この空腹感からすると、昼飯も節約して碌なものを食ってないようだ。
そうだったのか。
考えてみれば、思い出すのはこんな辛い時のことばかりだったような気がする。
この頃が、俺がいちばん懐かしんでいた時で、俺はまたここから働き続けるのか。
次にチケットが手に入るまで、後何年だろう。
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