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『りんご箱』 # シロクマ文芸部

りんご箱、ええ、私はりんご箱でした。
と言っても、若いあなたはご存知ないでしょうか。
私みたいな板切れを打ちつけた箱に、りんごを入れていたなんて。
そうですか、最近はインテリアとして売られているのですか。
それは、それは、よかったです。
そうなんですよ、昔は本当に私の中にりんごが入れられていたのですよ。
りんごとりんごの間には、おがくずを詰め込んだりして。

でも、私の役目はそれだけではなかったのです。
空き箱になった私は、くるっとひっくり返されました。
その上で、元気に歌をうたう女の子がいたのです。
その透き通った歌声に、大人たちまで元気をもらっていました。
みんな、笑いながら手拍子なんかしたりしてね。
女の子は、この小さなステージで歌い続けました。
私も頑張りましたよ。
時々、私の上で飛び跳ねたりするもんですからね。
油断すると、ボキッといっちゃいます。
その女の子は、やがて、この国でいちばん有名な歌手になりました。

同じひっくり返すにしても、今度は私を机代わりにする少年や少女があらわれました。
隅っこに蝋燭を立てて、蝋燭が無くなると、窓辺に私を持って行き、街頭の灯で。
彼らは、その小さな灯りのもとで、書物を広げ、チラシの裏に文章を綴ったり、藁半紙に絵を描きました。
彼らの中には、高名な学者になったり、売れっ子の作家になったり、海外で活躍するデザイナーになったりした子もいます。
りんご箱冥利に尽きると言うのですかね、こんなのを。

そんなりんご箱だった私がどうしてこんな板切れ一枚になったのか、そうおっしゃりたいのでしょう。

それはね、こんなことがありました。
まだ若い女性です。
役者を目指して毎日稽古に励んでいました。
でも、なかなか芽が出ません。
夜毎、私の上に涙を落としていました。
先輩や団長からの、よほど厳しい指導があったのでしょうか。
ある夜のことです。
彼女が私の上に乗りました。
何やらがさがさと音がしています。
こっそり見上げると、白いロープを天井に結えているではありませんか。
慌てましたよ、私は。
ロープを結び終えると、彼女はその輪の中にそっと首を差し入れました。
未練があったのでしょう。
涙が、ひとつふたつと私の上に落ちてきます。
私の中に、幾晩も幾晩も染み込んだ涙です。
でも、私には声も出すことができません。
しょせん、りんご箱です。
彼女は、とうとう決心しました。
つま先で、私を優しく蹴りました。
私にどうすることができたでしょうか。
転がり、壁にぶつかって、砕け散ること以外に。
大きな音を立てて、これでもかと言うくらいに大きな音を立てて、私はばらばらになりました。
幸い、深夜の大きな物音に気づいた隣人が駆け込んできて、彼女を助け下ろしました。
この夜のことが、彼女の中の何かを変えたのでしょうね。
彼女は間も無く、劇団の主役に抜擢されました。
その後、彼女の演技は世に認められ、大スターになったのです。

ごめんなさい。
今夜は少し喋り過ぎました。
すみませんが、その大きな木の後ろあたりに、私をそっと隠しておいてもらえませんか。

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