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『食べる夜間管理人または夜間管理人に食べられる』 # シロクマ文芸部

食べる夜間管理人。
そう呼ばれているらしい。
私は、ほぼ40年勤めた会社を定年退職した後、家の近くにある小さな会社の夜間管理人として働くことにした。
夜間管理と言っても特にすることもない。
定時を過ぎると、電話は音声案内に変わる。
入り口には、シャッターが下ろされる。
せいぜい、残業で遅くなった外回りの営業が帰った時に、裏口を開けてやるくらいだった。
あとは、翌朝に日誌を書いて、出勤した正社員に引き継ぐ。
引き継ぎも、毎回、「問題なしです」の繰り返し。
日誌にコピーしておいてやろうかと思うくらいだ。

ある日の夕方、出勤した私に、女子社員のひとりが、
「お夜食とか、どうされてるんですか、あ、夜間管理さんには昼食にあたるのかな」
私は、トートバッグの中から、あんパンをひとつ取り出した。
途中のコンビニで買ってきてものだ。
体を動かすわけでもないので、これで充分だ。
しかし、ご親切にも、女子たち一同は、
「えー、それだけじゃだめですよ」
「もっと栄養をとらないと」
「野菜、食べてますか」
「タンパク質も大事ですよ」
まったく、女という奴は、おせっかいなものだ。本人は、目一杯の親切だと思っているからタチが悪い。
いや、今時こんなことを言うと叱られる。
この会社の女子はと限定しておこう。

それからだ。
彼女たちは、毎日定時になると、
「これ、今晩のお夜食に食べてくださいね」
と、さまざまななものを置いていく。
ラップにくるんだおにぎりであったり、肉まんであったり、果物であったり。
「いやいや、こんなに食べきれないですよ」
と断るのだが、社交辞令としか受け止めてもらえない。
せっかくもらったものだからと頑張ってたいらげる。
すると、翌朝には、
「なんだ、食べられたじゃないですか」
そして、その夜の出勤時には、さらに食料の量が多くなる。
それを平らげると、さらに増える。
どうやら、女子の間では、私に何を食べさせるかで競争になっているらしい。
その証拠に、どこやらで取り寄せた寿司やら、ステーキ弁当やら。
だんだんとその量ともに、自分では食べようとも思わない高級なものになってきた。
そして、その競争は、男子社員にまで波及していった。
最初は、
「営業先でもらった饅頭です。よかったら」
そんな程度だったのが、これもエスカレートしてきた。
「カセットコンロに火をつけて、ぐつぐついってきたら、もう食べられますから」
そんな、なんとか鍋を用意してくれた者もいる。
私は、せっせと平らげた。
どうせ、やることはないんだし。

どうやら、彼らにもメニューが尽きてきたようだ。
万策尽き果てた時には、どこでも同じだ。
己を差し出すしかない。
ある日、営業から帰ってきた社員が、
「よろしければ、今日は私のこのあたりをどうですか」
と言いながら、自分のふくらはぎのあたりを撫でさすった。
もちろん、そんなことはできない。
「いやいや、そんなには食べきれないよ」
と、断りはしたのだが、彼はしつこかった。
結局、断りきれずにいただいてしまった。
そして、その旨いこと旨いこと。
人肉食がタブーとされているのは、案外、その味を知ってしまったら、もう他の食物には目がいかず、人類はとも喰いで滅びてしまう、そんな理由からではないか。
それからは、彼らは我先にと自分の体の一部を提供し始めた。
中には、
「少しでもいい状態で召し上がっていただくために、今、ジムに通ってるんです。もうすぐ、霜降りの美味しい体になりますからね」
そんな女子社員もいた。
「いえいえ、普通でいいですよ」
と、私も答えてはおく。
誰が最初に頭の先まで食べきられるか。
彼らは競い始めた。

私は、誰も出勤する者のいなくなった職場の鍵を閉める。
さて、次の仕事を探さなくては。
食べる夜間管理人。
そんなことを言いふらされては困る。

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