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発達障害(注意欠如症)とうつ病と

先日、『プロフェッショナル仕事の流儀』で発達障害を専門とする精神科医、本田秀夫さんが紹介されました。

https://www4.nhk.or.jp/professional/x/2019-10-29/21/25000/1669555/

たまたまですが、同じ頃私がTwitterで投稿した発達障害関連のつぶやきが想定以上にバズってしまいました。そこそこ有名な方のツイートへのコメントとして投稿したからだと思います。

それでも多くの方が関心を持ってくださったようなので、その時の私のツイートを元に、少し手直しし、この場で改めて公開しようと思います。

善意で、「メンタルの弱い人」を対象に心を前向きかつ健康に保つご自身なりの秘訣をウェブや印刷媒体で開陳なさる方がいらっしゃいます。それは精神科を初めとする様々な医師の方々が繰り返し述べられていることを簡潔にまとめたものであったりするので、まったく見当外れということはありません。例えば規則正しい生活と適度な運動、など。これまでメンタル面は健康そのもので、最近少し落ち込みやすくなった、程度の方であれば大変参考になるでしょう。

しかし、長いあいだ心や性格、あるいは行動の傾向が他人とは違うのではないかと悩んだ末に自己嫌悪や否定的な思考が先立つようになった人、発達障害で定期的に医師の診察を受けながら社会生活を送っている人、うつ病にかかり加療中の人。このような人々も「メンタルの弱い人」と呼び、同じ方法で簡単に良くなると思われているとしたら、異議を唱えないわけにはいきません。

私は四十代半ばになって発達障害(注意欠如症)と診断されました。それは幸いなことに、気分障害(うつ病)のために訪れたメンタルクリニックで見つけていただいたのでした。

その直前、私は毎日の生活でイライラを抑えられない事が増え、家族にも迷惑を掛けるようになりました。さらに仕事における対人関係にも支障をきたしかねない状態に至り、妻の勧めもあって精神科を受診することにしました。なかなか予約が取れる医院が見つからない中、職場からそう遠くないクリニックで1か月後に診てもらえることになりました。

それまでも2度ほど精神科の扉を叩いたことはありましたが、どちらも適当に薬を処方され、こちらもひと月分ほどのお薬を飲みつくしたところで行かなくなりました。2度目の医院では医師の態度が明らかに本気ではないと感じ、不信感も持ちました。

しかし、私は幸運なのでしょう。3度目にかかったお医者様は、とりあえずハッキリと現れているうつ病だけではなく、発達障害の可能性も指摘し、検査を勧めてくださったのです。その結果、私は注意欠如症(ADHDの多動がないやつ)と診断されました。

発達障害だと言われて、思うことは人それぞれでしょう。不安になる人もいるかもしれません。しかし私は、これまでの「何となく自分はおかしいんじゃないか、なんでこんなに辛くなるときがあるのだ?」という状態に「注意欠如症」と名前を付けてもらえたことにより、とりあえず安心しました。自分はただ変だったわけではないのだ、と。

私は、早起きは得意な方でした。出勤時間は比較的自由な職場ですが、できるだけ早めに出て、途中のカフェで朝食のついでに軽く一仕事してから職場に出るなどしていました。ただし仕事を終える時間をうまく調節できないところがあり、無駄に疲労する癖もありました(今もあります)。

退勤時刻を一定にできない理由は、気が散りやすい事と、大事な仕事への取り掛かりが遅いことにあります。だから「早くやらねば」と思いつつ午後遅くになってやっとエンジンがかかるということが少なくありません。また、当然の帰結として締め切りを守れないことが多くなってしまいます。傍から見ると、なんと要領の悪いことと思えるでしょう。当然、本人は生きづらさを感じ、心身の疲労とともに、劣等感や自己嫌悪を蓄積していくことになります。いま思えば、注意欠如症の特徴が現れていただけなのですが。

そんな生きづらさを抱えつつも、私は朝の時間をできるだけ有効に使うことで規則正しい(正しくみえる)生活を送るように心がけてきました。それはある程度は効果があったと思います。仕事上の成功も喜びも味わいましたし、その結果と言えるでしょうか、自分の専門性に合った、より良い職場へ移ることもできました。

さて、転職をすれば新しい仕事への適応が必要になります。また期待されて採用してもらった分(?)、仕事量や役割も増えます。私は当然ながら、そんな中で人並みに仕事をしようと心がけました。スケジュール管理の失敗から落ち込んだ時は、翌年度は同じ事を繰り返すまいと、ごく基本的なことですが予定・締切のメモやTODO作成の習慣を徹底するように心がけました。

しかし元からの要領の悪さ(その頃はまだ自分の発達障害を知りません)がもたらす疲労と、どうしても失くならない小さな失敗の数々が理由の自己嫌悪癖。これらが、前の職場から引きずってきた蓄積疲労と自己肯定感の低さに上乗せされ、ついに心身ともに悲鳴を上げ始めました。うつ病の発症です。

これをきっかけに、先に述べたように、精神科医院を探し、予約1か月待ちの末に、現在お世話になっているクリニックを受診しました。まずはうつ病ということで投薬治療がはじまり、発達障害の検査結果が出た後は、そちらのお薬も飲むようになりました。

初診が昨年の11月末でしたが、仕事はこれまで通り継続しました。12月から翌年2月中旬までは特に忙しい時期で、私も抜けるわけにはいきませんでした。その時期、まず抑えるべきはうつ病による抑うつとイライラ。とにかく薬をしっかり飲み、うつ病の症状が抑えられていることを信じ、緊張を保ちながらなんとか乗り切りました。

その後、うつ病が主因と思われる、空白の1か月が訪れます。2月後半から3月下旬までは、私の職場(と言うか職種)の閑散期といえる時期です。ただし、その時間で各自が研鑽を積まなくてはなりません。その大切な1か月間、私はほぼ毎日、家から出ることなく、寝床の中で過ごしました。出かけるのは、通院の時、どうしても自分で食物を調達しなければならない時、そして日曜日に通う教会へ出かける時くらいでした。いま思うと、週1回とは言え出ていく場所が与えられていたのはとても幸運なこと、まさに神の恩寵と言っても大げさではありません。

とは言え、その1か月はまるで暗闇の中を漂っているようで、向きを変えることもできず、どこかに向かって進むわけでもなく、まったく無為な時間が過ぎていくだけでした。これまで経験したことが無いほど何をする気力も起きず、実際に何もできず、ただ布団の上に転がっているだけでした。その中で病による苦しさや自己嫌悪のために叫んだり、壁を叩き続けたりもしました。それは、文字で記す以上に恐ろしいことです。

家族と教会、そして信じる神の存在に支えられ、その後、私は再び立ち上がり、職場に出ていくことができました。今も浮かんだり沈んだりしながら、なんとか働き、家族との時間を生きています。

ツイッターの140字に収めたはずのものが、だいぶ長くなってしまいました。しかし今、このように振り返る事ができるのも僥倖であり、神に感謝しています。

この文章がどれだけの人の目に留まるかは分かりません。でも「メンタルの弱さ」の中で苦しむ人の心に少しでも光を届けることができれば嬉しく思います。また「メンタルが強い」人々に、すっかり理解はできなくても、気分障害や発達障害の生きづらさや苦しさをお伝えすることができれば幸いです。

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© Mark Skywalker, 2019.

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