見出し画像

ドラマの進行にあわせて「太平記」ゆかりの地を巡る #9 大塔宮ロスです!!!

ご無沙汰しております。 「太平記」の舞台が京都に行ってしまっていたのですっかり間があきました。
しかし、久々に鎌倉が映ったというのに、大塔宮が!!

大塔宮の鎌倉への移送

「太平記」でご覧のまんまですが、大塔宮が京で武家との争いの責任を負わされ捕縛。その後鎌倉に移送されたのは史実通りの展開でした。
 捕縛前に初雪を直衣の袖に受ける大塔宮、美しかったですねぇ・・。
堤大二郎氏、アイドルから俳優になられた方のようですが、血気にはやる宮を熱演されていました。その宮の穏やかな表情からの、味方に裏切られ父からも疎まれ・・・。なんという悲劇でしょう。あの穏やかなシーンがあったからこそその後視聴者の心に「哀れな」という気持ちが起きるんですよね。
しかもこの数年後に起こる足利による新幕府樹立、父帝との対立などすべてを見通していたからこその尊氏との対立。すべては父と、天皇家、朝廷を思っての行動だったのに・・・。 いやぁ、響きました。

移送後の幽閉箇所「東光寺」

太平記のドラマのなかにも大塔宮の鎌倉での幽閉先は「東光寺」とナレされていました。東光寺は今の鎌倉宮あたりにあったお寺ですが、廃寺となっています。

画像1

こちらが東光寺跡地とされる場所に立つ、大塔宮ゆかり品を展示する施設の入り口です。この中に大塔宮が監禁されていたとされる洞窟がありますが、それは史実とは違うようで、実際はドラマのように閉ざされてはいますがしっかりとした建物だったようです。

鎌倉宮は「最近の」もの

画像2

こちらが先述の宝物殿を敷地内に持つ「鎌倉宮」という神社です。
明治時代に時の天皇陛下により建立され「鎌倉宮」という名もその時につけられました。

画像3

あれ??大塔宮の没年は1335年 鎌倉宮創建は1869年。
500年以上あとですよ・・。 なんで??
そうなんです。 明治維新というのは本当に歴史の転機で、政権が天皇家に戻ってきたという大きな改革なんですよね。
「これからは天皇の世だ」というのを天下に知らしめるため、かつて武士の世に対抗して戦い命を落とした功労者を「神」として祀ることを各地で始めています。
近いところでは「葛原岡神社」。そう、太平記の序盤に鎌倉幕府に刃を倒すために暗躍した日野俊基卿を祀る神社で、源氏山公園の近くにあります。これも明治の創建。同じ意図で祀られています。
足利幕府以降は武士政権がずっと続いたため、両者とも陽の光の元にでるのが遅れてしまったというわけです。

大塔宮の墓所は2か所!?

この鎌倉宮近くで、足利直義の家臣に殺害されご遺体は今は廃寺となった理智光寺の住職が葬ったとされています。 今もその場所付近に、「皇族のお墓」のテイで広い陵墓として残っています。(まだ行ってないのでそのうち)
しかし、先日鎌倉を散策していたら別の「大塔宮の墓」に遭遇しました。

画像4

こちらは鎌倉の東、妙法寺です。

画像5

苔の階段で有名なお寺ですね。
この階段の上(この苔の階段は登れません)にこんな案内板が。

画像6

近くにいたお坊さんが「景色が良いので是非上がってみてください」と進めてくれたので、かなりきつい石階段でしたが行ってみました。
上がりきった場所に

画像7

宮のお墓がありました。
後で調べてみたところ、この妙法寺は、大塔宮が鎌倉に移送され幽閉されていた際に身辺のお世話をした南の方という女性との間に生まれた男児が成長して僧になり興したお寺だとのこと。
うーーん。 もう涙がでてきますね。
おそらく、御遺骸は鎌倉宮近くの皇室式のお墓のほうにあるのでしょうが、なんとなく、お心はこちらにあってほしい、と願ってやみません。
この墓石が見つめているのはこの景色です

画像8

大塔宮にとって鎌倉は敵地だったのかもしれませんが、子供が興した寺の中でせめて安らかに眠っていてほしい、とおもいました。美しい海を望みながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?