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先取り!「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐる旅 #1 プロローグ「義時悪いやつ?」

2022年の大河ドラマは北条義時が主役の「鎌倉殿の13人」ですね。
私はnoteでNHKで再放送中の「太平記」についても連載しておりますが(こちら)、撮影に行く先が北条義時ゆかりの地にもあたりますので、2022年といえば再来年で、鬼すら笑いませんが同時進行で進めてみたいと思います。

「義時悪いやつ?」

でですね。いきなりですけど。
太平記ゆかりの地を巡っていると自然に時代を少し遡った鎌倉初期の遺構にも行き着きます。観光客用に建てられた史跡案内版を読んでいると・・
「北条義時に誅殺され・・・・」
「北条義時軍に攻められ自刃に・・」
という論調の案内を目にするようになりました。
「あれ?主人公じゃないんだっけか?」
「大河ドラマは一体「北条義時」をどんな話にする気なんだろうか??」
という疑念がモクモクとすることに。

北条義時の黒歴史をいきなりまとめる

高校時代は日本史専攻ながら、鎌倉幕府といえば、初期は源三代&政子、中期は元寇撃退の時宗、末期は高時からの足利尊氏ぐらいがキーポイントで、試験的には「義時」って先生いわく「覚えなくていい」人だった気がします。なので実像をあまり知らないのでざっくり調べてみました。
<出生>
1163年生まれ
北条時政の次男
北条政子の弟 初代将軍頼朝の義弟
<義時の鎌倉幕府に関する年表>
1185年 鎌倉幕府成立(頼朝の勢力が西国まで行きわたった年)
1192年 頼朝 征夷大将軍就任(関連:大蔵幕府跡)
1199年 頼朝急死 (墓:白旗神社)
1199年 義時の父・時政の策略により「13人の合議制」始まる
1200年 梶原一族追放&滅亡(関連:御霊神社)
1202年 頼家2代将軍就任
1203年 比企能員 比企一族滅亡(関連:妙本寺)
1203年 頼家追放(翌年修善寺で死亡) 
1203年 実朝 三代将軍就任 北条時政初代執権就任
1205年 畠山一族滅亡(関連:鶴岡八幡宮脇)
1205年 時政失脚 義時二代執権就任
1213年 和田一族蜂起 滅亡へ(関連:和田塚)
1219年 実朝 甥の公暁に暗殺される(関連:鶴岡八幡宮・墓:壽福寺)
1221年 承久の乱
1224年 義時没する(62歳) 鎌倉での墓は白旗神社の前身の「法華堂」

<義時・政子の発願により建立された寺社>
北条政子ー寿福寺建立
義時ー薬師堂(覚園寺) 成就院

後半生はほぼ戦?

頼朝が急逝してきな臭くなってきたのが1200年。その時すでに義時は37歳。ということは父が仕掛ける戦には当然出ているはずですので、目障りな一族を滅亡させてきたのはほぼ義時では??と思うに至るわけです。

どのあたりから物語が始まるのか?

タイトルにもなる「13人の合議制」は父時政が始めたものなので、それよりももっと前、義時がまだ若いころから話がスタートすることが予想されますね。
平氏滅亡(1185年)・源義経成敗(1189年)も当然入ってきますから
鎌倉時代というより平安末期が主体になって、鎌倉幕府を起こした功労者的な扱いになるのでしょうか?
でないと、ドラマにならない・・。

さてプロローグはここまで。
次回からは鎌倉に点在する義時に関連する遺構をご紹介します。

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