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タイミングは選べないけれど。

「今日が人生最期だと思って生きよう。」ってよく聞くけれど、
そんな大それたことは疲れるし、本当に最期って訳でもないだろうって思っているから、僕にそんな生き方はできない。
だからと言ってだらだらずっとこのまま生きていられるとも感じていなくて。

この間、交通事故にあったのね。
僕がバイクで相手が車で。
幸い足の骨折だけで済んだんだけれど、別にそのまま後続車に轢かれててもおかしくなかったし、打ち所が悪ければ体が動かなくなる可能性もあったし、そのまま死んでたかもしれない。

車に衝突した時の記憶が無いことには驚いた。
「あ、ダメだわ..これ避けられないやつだわ..」って言う直前の記憶と、
そのあとはもう道路脇に仰向けに寝転がって、ヘルメットも取られて野次馬が集めってきたところからの記憶しかなくて、衝突した時の記憶はすっぽり抜けている。

なんか死ぬ時って一瞬なんだなって、救急車で運ばれながら感じた。
後悔したり痛みを感じたりするよりも先に死んじゃうんだろうなって。
だから死ぬことが怖いとかそう言う風にはならなかった。
でも人間て本当に簡単に死ぬんだな、タイミングって選べないんだな、
とは感じた。

普段から、もしかしたら明日死ぬかもなー、なんて軽く考えながら生きているから、自分の思ったことを伝えたい相手には出来るだけ言葉にして伝えるようにしている。特に褒め言葉とか、感謝の気持ちとかはどんどん言葉にしていきたくて。「可愛い」「ありがとう」「嬉しい」「素敵だね」「好き」とか、きっと側から見ていたらチャらくて軽い人に見られるんだろうけど、出来るだけ言葉にして伝えるように心がけている。
きっと相手も喜んでくれるし、その姿を見て自分も嬉しくなるし、そういう世界って素敵だなって思うから。

大切な人には会う度に「可愛い」「好き」って言ってしまう。
語彙力が足りないからほんと軽い感じになっちゃって、それさえ言ってればいいと思ってるんでしょ、なんてことを言われたりもするけれど、もしかしたらそのままデートの帰りに死ぬようなことになるかもしれないしって考えるとやっぱり拙い褒め言葉でも伝えたくなる。
もしかしたらこうやって会うのが最期かも、なんてことも考えるから別れ際には必ずキスもしたいし、後ろ姿も見えなくなるまで見送る。

死ぬタイミングは選べないけれど、
「自分の気持ちに嘘をつかないように」とか
「大切な人と過ごす時間を大事にしよう」とかそう言う些細なことを
大事にして、いつ死んでも後悔の少ないように生きたい。

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