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楽天IR戦記 第2章 (1)IRの立ち上げ

IRの立上げ

 公募増資が終わり、数週間が経ちました。投資家に現在のビジネスポートフォリオでの成長性を認めてもらえたことで、落ち着いた雰囲気になってきたと感じました。ようやく腰を据えて、やりたい仕事をできるようになってきました。

 半年前までは専任者がいなかった職務ですから、他社に比べると多くのことが手つかずでした。例えば、ホームページ。楽天の会社案内として掲載している情報で古いものを最新に差し替え、コーポレート・ガバナンスのページを新設し、英語のIR資料を掲載しました。

 次に、英文アニュアルレポート*を作成することにしました。公募増資後、海外株主比率が大きく増加し、20%を超えました。三木谷さん保有分を除いた分の4割超です。にもかかわらず英語の情報発信はほとんどなく、海外では知名度ゼロです。株主通信や有価証券報告書の一部を抜粋して英訳し、経営トップから株主への英語のメッセージを付ければ、アニュアルレポートらしくなります。これに着手しました。英訳はいったん翻訳業者に委託しましたが、正しく英訳されているか確認するため、何日も何日も、連結財務諸表の注記の英訳と原文の日本語を照らし合わせる作業を続けました。まず前職の元上司に教えられた基本の情報発信を整備しました。

IR戦略の基礎

 さらに、三木谷さんからの要望を受け、場当たり的で受け身だったIR活動を戦略的に行うことに着手しました。

  まず、社内向けにIR週報を出すことから取り組みました。IRの活動報告と株価推移や、興味深いアナリストレポート等を社長、執行役員、事業のキーパーソンらに毎週メールします。単なる報告ではなく、IRに興味を持ってもらい、情報交換をしやすくする目的でした。

どんな仕事でも情報収集は大事ですが、情報は発信する人の所に集まってくるものです。

 社内の従業員も、外からの評価には敏感です。アナリストは業種ごとに担当を分けており、楽天担当であれば国内外のインターネット企業の動向に詳しいのです。アナリストレポートの分析は、示唆に富むこともあり、参考になると喜ばれました。競合他社との比較などの興味深い情報の提供をすれば、株式市場に関心を持ってもらえるだろうと欠かさず続けていました。

 IRデータベースという、機関投資家とのミーティング履歴のようなものを作り始めたのもこの頃からです。機関投資家と言っても運用資産規模は数十億円から数百兆円まで幅広く、投資スタイルもバラバラです。どんな投資家に企業から誰が会うのかは、非常に重要です。もし社長が楽天への取材を希望される投資家全員に会えば、事業に使う時間がなくなり、かえって業績の低下を招き株主の利益を損なうことになります。 とはいえ、社長にしか語れない事業への思い(妄想)や実行へのコミットメントもあります。楽天では年間のIRミーティング件数が当時で約400件、執筆段階では1000件近くのうち1割から2割に役員が出席しています。社長やCFOが会うべき投資家、IR担当者が会うべき投資家を判断するための基礎資料として、投資家の運用資産額、特徴、保有株式数、ミーティングの履歴やその時の関心事項をデータベース化していくことになりました。

 企業としては、中長期的な経営戦略に理解を示す安定的な大株主に保有してもらいたいものですが、大株主も、当然何かの理由で売ることがあります。そんな時にも次の大株主が生まれるように、常に一定の数の大手機関投資家に重点的なIR活動をしています。そして大株主が売買する時に適正な価格で充分な流動性を与えられるよう、ヘッジファンドなどの短期投資家にも幅広いアプローチが必要です。重層的なターゲティングを行うためのデータベースとなりました

  証券会社出身のIR室長がデータベースの枠組みを作成しましたが、保有株式数については数年後から外部機関に実質株主*調査を委託しました。結果を見ると、3カ月ごとに会って良好な関係を築いていると思っていた投資家がほとんど楽天の株を保有しておらずがっかりしたり、逆に難しい質問をしてきて意地悪そうに見えた投資家が株を保有していて驚いたりと、意外な結果が出ることがありました。 保有株数が減っている場合、そのときのメモを見ると何が懸念材料と思われたのかが理解できます。データをよく読むと、一貫した深いテーマで質問をしている投資家がいることにも気づかされます。IRの目的は「投資家と良好な関係を築くこと」ではなく、 

「株を買ってもらうこと」こそが目的

 であり、投資家との信頼関係構築はその前提条件であることを再確認するのです。マーケティング活動と同様、データは蓄積すれば蓄積するほどIR活動の対象が定まり、後々非常に重要なデータとなっていきました。

(次回 「ひとりIR」に続く)

*アニュアルレポート: 米国上場企業などにおいては、 年次報告書を指す。日本においては、任意の投資家あるいは一般向けの会社の経営状況のレポート。 決まったフォーマットはないが、 経営者のメッセージ、直近事業年 度の概況、財務情報などを含めるのが一般的。近年はESG情報を 加え、統合報告書として発行する 企業が増加している。

*実質株主:機関投資家などは、株式を用いた運用に際し、直接株式を取得するのではなく、信託銀行・株式保管銀行(カストディアン)を通じ株式売買の決定権、議決権、および経済的便益などを享受する方法をとっている。企業の株主名簿にはカストディアンが名義上の株主として記載されており、その背後にある運用・議決権行使決定者を実質株主と呼んでいる。

*写真AC シルバーブレットさん

IR(インベスター・リレーションズ)の経験などに基づいたテーマで記事を書いています。幅広い層のビジネスパーソンにも読んでもらえたら嬉しく思います!