シルバーブレット株価_

「株を買ってもらう」こと

投資家と良好な関係を築くこと 
≠ 株を買ってもらえること

 私は、自分の本『楽天IR戦記』の中で、IR(インベスター・リレーションズ)の目的として次のように書きました。

IRとの目的は「投資家と良好な関係を築くこと」ではなく、「株を買ってもらうこと」こそが目的 
                    (第2章「ひとりIR」より)

 本の副題でもある「株を買ってもらえる会社」という表現について、「そう、それがIRだよね」「でも、こう言い切れる人は少ない」「いや、私はやはり良好な関係を築くことが目的だと思う」という様々な反応がありました。あくまでも限られた範囲で得られた感触ですが、資本市場側の経験がある人たちには、「株を買ってもらうことが目的」に肯定派が多く、上場企業のIR担当者の方には、肯定とも否定ともいえない派、「良好な関係」派が多い気がします。

 私もIRをはじめたばかりの頃は、投資家と良好な関係を築くことが目的だ思っていました。今は関係を築くことは手段であると思っています。その意識を変えたのには二つの出来事(背景)があります。

会社ではなく自分が叩かれたくなかったとき

 ひとつ目は、2006年か2007年頃の楽天の株価が低迷している頃のあるアナリストのひとことです。私は、その頃、アナリストの短期的な業績の質問にただ答えるだけのIR担当者でした。翌四半期の業績が、期待を下回ると叩かれるので、期待値を下げるよう、控えめに、保守的に、答え続けていました。
 ミーティングが終わったあと、こう言われました。

「今の話を聞いていると、株を売りたくなりますね」

 自分が叩かれたくない、という思いだけで会話していたことに気づきました。底値にある会社の株を買ってもらおうとか、売らないでもらおう、という意識はそこにありませんでした。
 短期的に悪い話ばかりして、中長期的な戦略的な意図を伝えて価値を感じてもらうことを付け加えることはしていませんでした。聞かれなかったといえば言い訳です。毎日叩かれすぎていて心が折れていたのかもしれませんが、それも言い訳です。

 保守的なことを言っていた方が、私自身は嫌われないかもしれません。
 確かに、悪い情報をしっかり出すIR担当者は信用されます。よくこんな話をアナリストから聞きます。

「あの会社の〇〇さんは、悪い情報を言うから、いいIR」

たぶん、それは本当でしょう。
でも、いい情報を見つけてもらう努力もせず、悪い情報しか言わなかったら?自分は買われて、会社は売られ続けます。

株を使った資金調達の経験

 もうひとつ、株式を活用した資金調達の経験が多いことが背景にあると思います。楽天とNECエレクトロニクス時代の経験を合わせると株式の公募増資が3回、ユーロCBが1回。金額で経験値を測れるものではありませんが、この4回の資金調達を単純に合計すると5000億円超となります。楽天のみでは3000億円弱です。
 楽天では12年間中、ほとんどの期間で財務と同じ組織に属していました。傘下に金融事業があることもあり、財務の状況を把握することは通常のIRでも必要なことでした。
 格付け会社との定期的なレビューの窓口を担当していた時期も数年間ありました。その際には、資金計画に加え、資本の充実性のディスカッションも行っていました。

 それらの経験を踏まえ、手元現金と営業キャッシュフローでどのくらい既存事業が回せて、銀行の借入枠があとどのくらいあって、次のM&Aでどのくらい使えて、という計算が頭に常にあります。資本が厚ければ銀行の借入枠も大きくなります。
 楽天は、過去、M&Aなどの大きなチャレンジは株式の公募増資で行ってきました。2000年、ポータルサイト事業。2003年、インターネット旅行予約事業、インターネット証券。2004年、ローン事業。2005年、クレジットカード事業、米国マーケティング企業、(うまく行きませんでしたが)放送局への投資。2015年、米国EC。
それで大きく成長してきました。

 高い(適切な)株価のときに株式の公募増資を行えば、低い資本コストで調達できます。まだ実施していませんが、M&Aの際の買収手段として株式交換を使う時も、株価は重要です。

 適切な評価で、持続的に株価を上昇させていくこと、いざという時に幅広い投資家から買い注文を集められる基盤を作っておくことが、IR活動に求められていると、心の底から思うようになったのは、経営戦略と財務戦略が一体で、財務戦略の重要な手段のひとつに株がある組織・会社にいたからでしょう。
 そして、こう思うようになりました。

IRはファイナンス機能の一部である 
              (第10章 「IR活動の仕組み化」より)


 立ってる地面が違う

 しかし、上場企業のIRに携わる人全員が、私と同じような意見を持つわけではありません。以前、あるエネルギー会社のIRの方と情報交換をしたことがあります。私の「IRとはファイナンスの一部」と捉えている考えと、その方の考え方はまったく違う、と驚かれました。

 公共サービスの色彩が強いその大企業では、長年、株による資金調達をしたことはありません。IRとは、他のステークホルダーより少しだけえらい、株主に対する説明責任を果たすことである、というニュアンスのことをおっしゃっていました。また株主には地元住民も多いことから、まさに良好な関係を築くことこそがもっとも重要なのであると。

「IRに関する考え方は、もはや立ってる地面が違う」

 私もそう思いました。その企業であれば、説明責任を重視するIRは当然であろう、と思いました。会社や置かれている状況によって考えは変わることでしょう。

 ちなみにその方は、私が経産省の企業報告ラボで発表した「株主価値創造のプロセス」*について話を聞きたいと言ってわざわざ来られたので、批判をしようと思っていたわけではないはずです。お互いの違いを認めつつ、びっくりされた、という雰囲気でした。

 本を読んだ別の企業のIR担当の方からも、自社ではエクイティ・ファイナンスをほぼ行わない状況と、楽天との財務戦略の違いを踏まえて、「IRの目的は市場との良好な関係構築」と定義されたそうです。

 会社の経営・財務の状況を踏まえて、異なる意見が生まれるのはよいと思っています。そのような議論が活発化することこそが、執筆の効果として私が期待することです。

 ほかには、「株を買ってもらう」は少々ストレート過ぎていて、「適正な評価で取引される」くらいに留めたらどうか、という意見もありました。それはそのとおりなんですが、株価とは、ある瞬間に買われる株数と売られる株数が一致して付くものです。買ってもらわなければ、適正な評価はつきません。そういう意味で実務家としては、「買ってもらう」意識を強めに持っておいた方がいいのではないか、と思っています。

 まあ、「”株を買ってもらえる会社”のつくり方」というのが、ちょっと身もふたもない言い方なので、「会社の株のマーケティング」くらいがちょうどよくない? とある投資家に言われました。
 そうですね・・・。出版社が付けた副題なんですけど。そうかも。


*『企業と投資家の対話と意識ギャップについて 【参考事例集】』2003年8月 経済産業省企業報告ラボ 企画委員会

* シルバーブレットさんによる写真ACからの写真



IR(インベスター・リレーションズ)の経験などに基づいたテーマで記事を書いています。幅広い層のビジネスパーソンにも読んでもらえたら嬉しく思います!