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楽天IR戦記 第1章(5)財務危機


 四半期決算発表をまたいで、放送局との質問のやり取りが続いていましたが、ほとんど進みません。楽天の提案に具体性がないとの噂も聞こえてきました。しかし交渉が進まずとも、財務的な問題は放置できません。楽天グループの有利子負債は2005年9月末で5700億円を超えていました。このうち、約4700億円はクレジットカード事業や証券事業の営業上必要な負債なので、これらの事業がしっかりしていれば問題ありません。

  銀行が注視しているのは、TBS株の購入やM&Aなどに使われた楽天株式会社単体の有利子負債で、9月末で約1000億円、10月末には1800億円以上に増加していました。この金額は、当時の楽天のフリーキャッシュフローの創出力や、資本水準などから考慮すると、銀行の貸出基準のほぼ上限でした。すでに取引のある国内の銀行からの融資はほぼ限界で、外資系銀行からの融資も引き出そうと、財務担当常務の髙山健さんらが日々奔走していました。「黒い目の銀行はもういっぱいいっぱいで、青い目の銀行に行かなきゃ」と真顔です。髙山さんは一橋大学で三木谷さんと同級生で、三木谷さんは硬式テニス部、髙山さんは柔道部でそれぞれ主将を務め、日本興業銀行でも同期だった仲です。「楽天は自分の会社」という意識と責任感が強く、なんとかこの財務危機を切り抜けようとされていました。

  借入れがやっと可能となっても、悠長に数年かけて返済するような余裕のあるものではなく、資本を増強し、調達した資金で早々に返済すべき、というプレッシャーが継続していました。「放送とインターネットの融合」が実現しようがしまいが、公募増資は必至だったのです。さらに、公募増資の金額が比較的大きいため、国内の投資家だけでさばけない可能性があり、海外機関投資家への販売を含むグローバル・オファリング*による公募を検討していました。これには米国法弁護士のお墨付きが必要です。企業側、証券会社側にそれぞれ日本法弁護士事務所と米国法弁護士事務所が付き、それぞれがリスクを評価しつつ、投資家向けの販売資料である目論見書*(もくろみしょ)を作り上げます。私が楽天に採用された理由の一つは、どうやらこのグローバル・オファリングでの開示の経験があるから、だったようです。しかし入社から1カ月ほどで会社のこともあまりわかっていないのに、会社の状況を細かく記述する役割は荷が重く、大量の宿題を抱えていました。

 この目論見書への記載においても、放送局への経営統合提案の不透明さは問題となっていました。共同主幹事である証券会社としては、楽天という株式への投資リスクについてはすべて明確に目論見書に記載されなければ、投資家保護の観点かららは引き受けられません。統合するのかしないのか、する場合にはどのような会社になるのか、戦略的・財務的・法務的な観点で明らかにしてほしいと弁護士らから何度も言われるのですが、何しろまったく協議が進んでいませんので文章に書きようがありません。目論見書の作業は少しペースダウンすることになり、私はこの件から一時外れ、入社前の期待通り、IR中心の業務を行うことになりました。

(第1章(6)「スタンドスティル」へと続く)

*グローバル・ オファリング:国内の市場だけではなく、海外市場においても同時に募集または 売出しを実施することをいう。海外の法令、特に米国証券取引法に関連する法的チェックが必要とな る。本書第 11 章における「ルール 144A」は、グローバルオファ リングの手法のひとつで、米国では一定の条件の下で適格機関投資家(QIB)に対する私募、米国 外では公募とする手法。米国証券 法の規則144Aに基づき、証券 の米証券取引委員会(SEC)へ の登録届出書が不要となる。

*目論見書(もくろみしょ)
有価証券の募集または売出しにあたって、投資家に交付する書類。 対象企業の経営・財務・リスクを くまなく記載し、投資家の投資判 断の材料とする。 英語では P r o s p e c t u s 、 またはO f f e r i n g
c i r c u l a r という。それぞれ ProsやOCと略すこともある。

*写真AC (RRice)

IR(インベスター・リレーションズ)の経験などに基づいたテーマで記事を書いています。幅広い層のビジネスパーソンにも読んでもらえたら嬉しく思います!