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経営者は諦めるという判断にどう向き合うといいのか?

「諦めたらそこで試合終了ですよ」
高校バスケの名監督が発した名セリフです。
何事にも諦めずに勝利を信じて戦う姿は美しく格好いいものです。
しかしビジネスにおいてはどうでしょうか。諦めずにやり続けたことが結果大きな損失になることもあります。その辺を経営者としてどのように線引きしたかという話を綴ってみたいと思います。

スポーツとビジネスとの違い

バスケに限らずスポーツで言われる「諦めるな」という檄は、試合の終了時間というか、或いはゴールがあるから使うことができます。残り3分とか、あと100mとか、最後の踏ん張りどころで使うものだと思います。
そこはビジネスでも一緒で、締め切りまで残り後1時間、ここでさらにもう一捻りすればもっと良いものが出来る、という場面では使うこともできるでしょう。

でもこうしたビジネスシーンであっても、上司や経営者によっては異なる言葉の選択肢もあります。
「終わったのなら、早々に次の仕事に着手してくれ」
仕事が多く、次の仕事が待ち構えている場合などでは、今取り組んでいた仕事、残り時間を考えればまだ質を上げられそうな余力が仮にあったとしても、その仕事を終わらせて次の仕事に取り組むことを指示するということはあり得ます。

もっともこの辺が、まさに経営者の志向性だったり、社風だったり、或いは上司の好みによって分かれる場合もあります。その仕事に取り組む当人の考えと一致していれば特に問題は起こりません。しかし、もし上司と当人の考え方や今の仕事と次の仕事に対する重要度、価値に齟齬がある場合、トラブルや後々の責任問題に繋がりかねません。

撤退の戦略

経営において撤退の戦略というのは非常に大事な戦略です。撤退の決断こそがリーダーの真価が問われるといった言葉も数多く見かけます。
考えに考えて実行と判断した施策や事業。しかしそのすべてが計画通りに上手く行くわけではありません。むしろ計画通りに上手く運ばないことの方が多いわけで、そんなことから発生する番狂わせがあるから面白かったりもするわけですが。

さて、計画を進めても予定通りに進まず、気が付けば予算も嵩み人員のリソースも多くなってきている。しかし途中まで進めてしまった今撤退してしまったら、今までの費用はすべてが水の泡。関わった社員、協力会社からも不満が出る。責任問題も発生する。なんてことを考えてしまうと、中々撤退の判断ができないという状況もよく理解できます。引くに引けずについ、冒頭の安西先生のセリフを持ち出して、社員関係者に檄を飛ばす、なんてこともあるかもしれません。
でも、残り試合時間が分かっていて、戦況と選手の能力の分析も出来ているからこそ発した「諦めたら~」のセリフを、ほぼ失敗と損失が確定しかけている事業や施策で使われるのだとしたら、安西先生もいい迷惑でしょう。

撤退の判断とは本当に難しく、また決断力と責任感が問われる判断であると思わざるを得ません。

諦めることに慣れる

過去の記事で何度も書いていますが、私はチャレンジすることを推奨してきました。「我が社の辞書に失敗という言葉はない」とか「失敗も共有すれば会社の財産」などといって、失敗を恐れずにチャレンジすることを大切にして経営をしてきました。
そして実際に私も含め多くの失敗を重ねてきました。
ある意味チャレンジしたのだから失敗は仕方がないという前提に立っていると、諦めるハードル、撤退の難易度は下がってきます。いわば諦めることに慣れてくるとも言えます。

諦めることに慣れるというと、誤解を生むかもしれません。
もう少し詳しく言うと、私が推奨するチャレンジは小予算で期間も比較的短いものだからです。
小さいテストを重ねて成功したものに大きなリソースを集中させる。これが私の大原則です。
新商品を開発してテスト販売をする。新しい広告を考える。新しい顧客サービスを導入する。発送システムに新しいプログラムを取り入れてみる。ひとつひとつの予算はさほど大きくありません。(会社的に許容できる予算という意味です)
だから判断する時にもこう言います。
「ダメだったら元に戻せばいいから」
新規事業もまずは捨ててもいいと思う予算感で小さなテストから始める。見込みのある結果が出たら、予算を増やしていく。
新企画であれ、新規事業であれ考え方は同じです。

そして実際に上手く行かないと分かれば、さっさと中止します。
元に戻すことを指示した上でこう付け加えます。
「さ、次だよ次々!!」

担当者自身に悔いがあったり、もう一回チャンスがあれば、といった葛藤はあったと思います。実際にそういう訴えを聞いたこともあります。
でもこれは私の性格かもしれませんが、上手く行かないものはいくらやっても上手く行かない。次の新しいことを考えた方が上手く行く可能性は高いという考え方です。だから請う言葉にします。
「さっさと諦めろ」

諦めたら試合終了ではなく、さっさと諦めて次に向かえば次は勝てる。
こんな感じでしょうか。

時間軸の観点

「さっさと諦める」にはもうひとつのポイントもあります。
試合終了、というか終業時間、或いは就業時間を守るということです。
スポーツの試合は、時間制の場合は終了時間が決まっています。
バスケットなら10分×4クォーター、サッカーなら45分ハーフの前半後半。
試合経過によって時間が止まるのでアディショナルタイムなどもありますが、基本残り何分というのは分かっている。
野球やテニスは時間制限ではないですが、イニングやゲーム数によってゴールが見える。
マラソンとかは距離が決まっています。

仕事も同じで、9時から17時までとか時間で決まっています。なんですが、スポーツのように厳格ではありません。17時過ぎても残業が出来てしまう。上司も残業を指示できますし、上司が指示しなくとも自らのやる気や責任感で残業してしまう場合もあります。
審判が笛を吹いてお終いとはならないんですね。

そんな環境のビジネスシーンで、例えば16時45分に上司が部下に向かって「諦めたら試合終了ですよ」と言ったら意味が分かりません。だって17時で試合終了ですよね。
でも往々にしてあるのが会社です。
「もう少し頑張ってみたらどうだ」
「もっと本気をだせ」
「こんなんじゃ評価が下がるぞ」
まあ、言い方は山ほどありそうですが、試合時間が過ぎても更に頑張りを要求したりします。

「17時までに終わりそうもありません」とか言われると、なんで終わらないんだよという言葉が喉まで出かかります。仕事の割り振りを間違ったとかもあるので、その社員のせいにするばかりではありませんが、残業してもらうか誰かに手伝ってもらうしかありません。

また本人のやる気が高まっている場合もあります。
「もう少し頑張らせてください」「もう少し頑張ればもっといいものができます」的な流れです。
いや、気持ちは本当にありがたいと思うのです。やる気に満ちていて仕事への責任感も伝わってきます。でもなんですよね。私は基本的には残業をするのもさせるのも嫌なんです。

前者のような納期に間に合わないという場面はもう仕方ないので残業するしかありません。しかし後者のような場合は、もう17時前に出来ているのです。出来てはいるけど、20時まであと3時間あればもっとよくなりそうだと考えているわけです。さてどうしたものか。

そのまま残業を黙認する場合もありましたし、そこで終わらせる場合もありました。これはもうその時々、その人なりのケースバイケースです。

しかし私個人の考え方としては、17時の段階で出来たものが自分のベスト。
これは私の原則です。
もし自分が納得できなければ、次は今回の質を16時までに終えてもうひと頑張りの1時間を確保しよう、となるのです。

今回がダメなら次はないというケースもあるかもしれません。その問いに対して答えると、それが今の実力だから諦めろ、です。
まあ状況によっては本当の意味で後がない場合もありますから、そうなったら事情は異なるでしょうが、少なくとも私が経営したでは、次のチャンスもありますし、それがダメなら次の次もあります。
もちろんその過程で本人が学習してレベルアップしてくれることを願ってますし、そのための努力を明日からの就業時間内で求めることになりますが。

諦める勇気

諦めずに最後まで全力を尽くすことはある意味美徳です。
個人の学習においては地道にコツコツと継続することの大切さも重要だと思っています。また事業によっては、初めから数年に亘って積み上げるものもあります。それはそれでそうした計画を持って、その時間軸に合わせて取り組めばいいですし、その間の継続した努力は大いに評価すべきだと思っています。

しかし、ビジネスシーンにおいて、経営者はやはりどこかで一線を引かないと限度が見えづらくなります。
だからこそ諦める勇気も大事ですし、諦めることに慣れるというのも会社のマネジメントとしては必要ではないかなと私は思うのです。
諦めることに慣れる分、新しいチャレンジをする余力も生まれるというのが私の考え方です。
そして諦めない数を増やすことよりも、新しいことにチャレンジする数を多くする方がワクワクしてきますし、楽しいなと感じる自分がいます。


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