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心理的安全性って意味があるの?

お盆の真っただ中、皆さまお久しぶりです。
たまたま新聞を読んでいて思うことがありましたので、
何か月ぶりかで記事をアップしたいと思います。

私は会社経営を行ってきたうえで「心理的安全性」という考え方に非常に重きをおいて行ってきたところがあります。

なぜなら私はピリピリとした空気が苦手で、出来れば落ち着いた心持ちで皆が楽しく仕事に向き合い、議論や対話を繰り返しながら成果を求めていく進め方を好んでいたからです。

力づくだったり、論破するような意見のぶつかり合いは、場合によっては良い緊張感を生んで成果に結びつくこともあるとは思います。しかし私の気質として単にそういう場は居心地が悪くて楽しく感じられないという個人的な好みに起因しています。

この私の単なる好みを会社経営において、或いは組織開発において取り入れて進めていくためには、それが有効な方法であるという裏付けが必要でした。
人によっては緊張感ある環境こそ成長できるという考えの人もいますし、「楽しさ」を「緩んだ」と感じる人もいます。そうした中で私の好みがひとつの正解であるというセオリーを後ろ盾にできることは、マネジメントの手法としての正当性をもたらすことに繋がると感じたのです。

しかしこの心理的安全性という考え方、言葉が広まるにつれてその捉え方も様々なものになっていったような気が致しております。

ある新聞のコラムでこんな記述がありました。

「職場の研修でこんな設問があった。会議である人が述べた意見に対して見解を示す際、どちらが正しいか。『A.自分は異なる見解を持つことを明確にしてから、自分の意見を述べる』『B.自分は異なる意見を持つことはあえて言わずに、自分の意見を述べる』「正解はBだと言う」。「あなたとは意見が違う」と面と向かって言うのは、心理的安全性を損なうということらしい。」

2024年8月15日日本経済新聞 大機小機より引用

私はこのコラムの中の、自分はあなたと意見が違うと表明することは心理的安全性を損なうという考え方に、個人的にかなりの衝撃を受けたのでした。

私は前述したようにピリピリとした緊張感の高い環境は苦手です。しかしその一方で自分の意見をきちんと表明できない環境と言うのもまた息苦しいと感じるのです。

私が考える心理的安全性のある組織とは、「私はあなたと意見が違います」と言えて、それに対し相手も「あなたが私と異なる意見を持つことを尊重します」と応えられる環境であると捉えています。

「心理的安全性を損なうから部下を注意できなくなった」という上司の愚痴めいたセリフも他の記事などで見かけることがあります。しかし心理的安全性を求めるならば、上司が部下をきちんと叱れる、指導できることも大事だと思うのです。上司が部下の心情を過剰に慮って、正しく指導できないのであれば、それは心理的安全性が働いていない環境だと私は認識します。

もちろん罵詈雑言や威圧的に詰めるような態度での指導が許されるということではありません。しかし上司が一方的に我慢を強いられることはフェアではありませんし、建設的とも言えません。

では、心理的安全性のある環境とはどんな環境なのか?

心理的安全性のある組織、環境を作るためにはまず必要なことは関係性の質の構築にあると私は考えています。
上司と部下、先輩と後輩、同僚と同僚の間の関係性の質、もっと単純に言えば相互理解を育むことが心理的安全性を作ることになるのです。

相互理解というのは必ずしも嫌いなものを好きになるということでもありません。人間ですから好き嫌いや相性というのはどうしてもある。それを無理して好きになれ、というのでは強制になってしまう。

「私はあなたが嫌いだ」と言う言葉はややきつ過ぎるとは思いますが、「私はこういう方を好む」「そういうやり方は得意ではない」ぐらいは言葉にできる。そして相手側もそれに対して「そういうあなたの考え方は尊重する」という相互理解であれば十分に可能だと思うのです。
これが「言うは易し」なことは重々承知しています。確かに簡単ではありません。

自己開示をどこまでできるか。
相手の自己開示をどこまで受け止められるか。
その度量はどこまで必要なのか。
そもそも会社において、どこまで自己開示をするのか。
プライバシーに関するようなことはあまり開示したくない。

人には様々なスタンスがありますので、一概に決められるものではありません。

その構築のためのひとつの手法として、
私はかつての組織において、度重なる対話の時間を設けてきました。
対話とは議論と異なり結論を出さない場と考えています。
お互いに思っていることを言葉にして発し、聞いた方はそれを受け止めて自分の感じたことを言葉にする。
考えが異なることを受け止め、正しい、正しくないではなく、ただそれを互いに知ることから始める。そして知ることから受け止めることへ。受け止めることから尊重することへの段階に移っていく。

確かに時間はかかります。
しかしかけた分だけ関係性の質は高まっていったのも確かなのです。

これはある意味基礎作りといいますか、土台作りといいますか、そこに時間をかけて強固にした分、そのあとの段階に移ったときのスピード感は飛躍的に高まるのです。

成功循環モデルでいうところの、関係性の質が作る思考の質と行動の質への移行スピードは抜群に早く、そしてスムーズに進んだのです。

成功循環についてはこちらも参照

私とあなたでは意見が違う。上司は部下をきちんと叱れる。部下も上司に意見を言える。これらが出来ている状態によって結果の質、即ち成功体験を積むことで、更なる結果の質を追求していくことができる。
こうした環境が心理的安全性の意義だと私は思うのです。

私は心理的安全性と成功循環モデルの成功体験を積んでくることができましたし、私が辞めた後のその組織もその環境をさらに進化させていると聞いています。

それだけに心理的安全性と言う言葉が、私が考える本質的な意義とは異なる形で認識され、そして誤解されていくことが残念でなりません。

心理的安全性ってなんだ?
本当に意味があるのか?
と思っている方がいれば、この記事を参考に改めてご一考いただければ幸いです。


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