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名言が与えてくれるもの32:地獄への道は善意で舗装されている

誰もが、心に響いた名言を持っていると思います。名言が与えてくれるもの、第32回の今回は、ヨーロッパの古い言い伝え『地獄への道は善意で舗装されている ~The road to hell is paved with good intentions』を考えてみたいと思います。


人生経験を重ねた今ならば……

どうにかこうにか、50年以上も生き抜いてこられたからこそ、臨場感を持って噛み締められることばです。『地獄への道は善意で舗装されている』には、「そうなんだよねえ……」と深く頷いてしまう魔力があります。本当に怖くて注意しなければならないのは、激しい批判を浴びせされることではなく、一見柔和で善意の顔をした価値観を押し付けられることです。

旧き格言、現代に生きる

このことわざは、第2回十字軍を推進したクレルヴォ―のベルナドゥスが「地獄は善意や欲望で満ちている」("L'enfer est plein de bonnes volontés ou désirs") と書いた(1150年頃)ことが由来となっていると考えられている。それより前に書かれたものとしては、ウェルギリウスのアエネーイスで「地獄へ下るのはたやすい」("facilis descensus Averno") というのもある。

Wikipediaより抜粋

ということなので、相当に古い格言です。今日に至るまで語り継がれ、人一倍鈍感な私でも、このことばには納得感があります。善意を信じて突き進んだ先に待っていた地獄に、喘いだ人が少なくない証左でしょう。

たとえばSDGsはどうだ?、基本的人権はどうだ?

本当の悪事や悪意のある企みは、表向きは善意でコーティングされ、巧妙に隠されている、という主張は、陰謀論を積極的に吹聴する人が好んで説くものでもあります。

実際の所、疑い始めればキリがありません。全ての人が幸福に生きる権利を恒久的権利なのだと説く国際人権組織や、環境維持・保全を前面に押し出して定着しつつあるSDGsだって、裏に邪悪な意図を隠し持っている可能性はあります。実際にそれら善良なイメージを悪用し、その本来の意図とはかけ離れた汚い手法を使って、利権を貪っている集団がいるという話を聞きます。

世界的大流行を巻き起こした新型コロナウイルスも、世界中の人々を恐怖感で煽って、好き勝手な活動を抑制させ、感染予防ワクチンの開発で大儲けすることを企てた一部集団の壮大な自作自演なのかもしれないと思うことがあります。当の本人たちが、困っている人たちのため、ド真剣に善意で言っている、やっていると信じ込んでいる活動だとしたら相当に厄介な話です。

善意は全て疑っていたら病んでしまう

物事は、色んな見方ができます。たとえ善意のふりをした悪事だとしても、それを受け取る側が是認し、満足しているのであれば、第三者がとやかくいう筋合いではない、という意見も一考に値します。何でもかんでも真実を暴き立てればいいというものではないし、知らなくてもいい事実はあえて知ろうとせずに流してしまうのも、気分良く生きる為の処世術かもしれません。

善意と思われているもの全てを裏読みし、たえず疑ってかかる人生もまた寂しい気がします。勘違いでもいいと腹を括れば、行き着く先が地獄となる可能性があったとしても、敢えて飛び込む決断を嘲笑うことはできません。

この格言は真実だ、と私は信じています。しかし、この格言を知った上で、どういう態度で臨みどのような行動をするか、どのように考えてどういった価値観を形成するか、が大切でしょう。私の常識や理性や良心の範囲なんて、簡単に超えることが起こるのが人生です。周到に備えることには限界があり、鷹揚に構えて流れに身を任すのもしたたかに生きる秘訣のようにも感じます。


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