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散髪の思い出

今日のnoteテーマは、~本日、いつも通う床屋で髪を切ってもらている時に浮かんだ案なのですが~【散髪】です。

はじめに

散髪には色々と思い出があります。散髪を巡る私の幼少期からの個人的な体験を振り返って、髪を切ることへの思いを記しておきたいと思います。

髪を切る行為を表す用語には、理髪・整髪など呼び方は色々ありますが、私がこれまで慣れ親しんだ【散髪】を使わせていただきます。

散髪は、日常生活を営む中で、不可避的に発生するニーズです。余程の限界集落でもない限り、日本全国、大抵の町に、床屋・理髪店・美容院と名前は違えど髪を切ってくれる店舗が存在します。

今後AIの発達で、理容師や美容師の仕事までAIに置き換えられていくのかもしれませんが、髪の毛を切る需要は今後も存在し続けるでしょう。

散髪に関する3タイプ

男性の散髪に対する考え方は、大きく以下の3つのタイプにわかれるように思います。

1.まず、散髪をどうしても済まさねばならない面倒な日常行為と捉える人たち(各年代で多数派の印象)です。大前研一氏の名著『企業参謀』の中にも出てくる話ですが、散髪に時間もコストも使いたくないという考えの人(大前氏はこのタイプ)に対して、伝統的な理髪店の仕事の進め方は無駄が多い、顧客志向の考え方が足りない、と批判的です。この影響もあったのだと思いますが、1990年代には、QBハウスのようにカットだけに特化した低価格タイプの店が随分増えて、完全に市民権を得ています。

2.1.とは対照的に、髪型や調髪にこだわりがあり、技術の高さとサービスを求める人たちがいます。髪型が個性をアピールする要素の一つであり、ここに気を使う人がいることは理解できます。こういう人達のニーズに応えるのがお洒落な美容室です。1990年代後半には、テレビドラマ(木村拓哉・常盤貴子出演の「ビューティフルライフ」)の影響もあって「カリスマ美容師」という言葉も生まれ、美容師が、おしゃれで、華やかな職業として大ブームになっていた時期がありました。さすがに今は少し下火になっているかもしれませんが、カリスマ的な人気のある理容師や美容師には、昔も今も一定の需要があるように思います。

3.最後はその中間で、昔ながらのいわゆる床屋スタイルに愛着を感じて、同じ店に長く通い続ける人たちです。こういう人たちにとって、散髪は、非日常的な特別な行為とまではいかないものの、リフレッシュできる時間であったりします。こういう人たちは、理髪店には、手堅い技術力と丁寧な仕事、和める空間を求めます。

私の散髪変遷史

私の場合、上記の類型でいうと、3→1→2→1→3 と変遷しています。

(1)幼稚園~小学生時代

私が、床屋で髪を切ってもらうようになったのは、幼稚園に入った頃です。髪を触られたり、切られるのが嫌いで、最初の頃は鋏を入れられそうになると泣いて暴れることもあったと母親から聞いたことがあります。散髪に連れて行くのも一苦労だったようです。

小学校にあがる頃には、髪を切られることへの拒否反応はなくなりましたが、散髪嫌いは続いていて、髪を伸ばし放題にして学校の先生から注意を受けることもありました。

前髪を真一文字に揃える「坊ちゃん刈り」が嫌でした。幼くて好みの髪型を的確に伝えられるような知識も意欲もなく、散髪は苦痛の時間でした。

(2)中学生時代

私の通った中学校は丸刈りが校則だったのでノーチョイスでした。中学生の丸坊主は割とスタンダードだった時代です。バリカンで刈るだけでしたので、通うのは安さと早さが売りの店です。相変わらず散髪は嫌いで、置いてある漫画を読む為に床屋へ行っていた記憶しかありません。

(3)高校生~大学生(前半)時代

高校生になってようやく髪を伸ばすことが出来る立場になりました。お洒落に目覚めて、髪型に拘る友人もいましたが、私は相変わらず、髪型には無頓着で、中学時代に丸刈りしてもらっていた床屋に大学2年生くらいまで通い続けました。

目が隠れる位まで前髪を伸ばしたり、当時少し流行していた襟足を長く残したり、その時々の流行は軽く取り入れていた気はしますが、基本的にセンター分けのストレートヘア。自分の髪質(剛毛系・毛量が多い)の特徴もあまり把握していませんでした。

(4)大学生(後半)~社会人(独身)時代

大学3年生から、神戸で下宿生活を開始しました。この頃から美容室でカットしてもらうようになりました。技術の良し悪しを判断出来る程私には知識はなかったのですが、地元暮らしの頃の写真と当時の写真とを比較すると少し垢抜けた感じの印象にはなりました。サイドの収まりが悪いので、数カ月に一度アイパーをしてもらっていました。

上京してもしばらくは、独身寮近くの美容室タイプの店に通っていました。顔剃りや髭剃りもしてくれる、2と3のフュージョンタイプの店でした。安月給の中、毎月の散髪の出費は痛かったのですが、この頃になるとさすがに髪型の要望も的確に伝えられるようになっていました。

美容師さんと会話する時間も楽しくて、これまでとは打って代って、散髪は楽しいイベントでした。私の髪質は特殊らしく、理容師さんから「あなたの髪のカットには技術が必要なので、勉強になります」なんて言われたこともあります。

(5)米国駐在時代~現在

これまでで最も悩み、苦労したのが、約4年間の米国駐在時代です。言葉の問題は勿論ありましたが、アメリカの理髪師の調髪技術は結構お粗末で、まともな理髪店を探し続けた日々でした。

私のような太くて、量の多い髪質は欧米系では珍しいらしく、カットには相当苦労していました。面と向かって「Your hair makes me sick!」と言われたこともあります。

年2回、日本出張中の最大の楽しみが散髪でした。東京駅八重洲口にあった床屋を贔屓にしていました。成田空港に到着してそのままその床屋に直行し、散髪してもらうのが毎回のルーチンになっていました。2005年に本帰国した時も、帰国後初出勤の前日にお店に伺い、カットしてもらいました。

私は「原則として5週間毎に散髪屋で髪を切る」というのを自己ルールとしています。一時期、QBカット風の店でカットだけお願いしていた時期もありますが、横浜に移ってからは、床屋スタイルの、カット、シャンプー、顔剃り、髭剃りのフルセット型のお店に戻しました。

駐在時代にカットしてもらっていた理髪師さんとは今でも交流があり、店を移られた今でも、年1~2回はあえて東京のお店に通って、カットをお願いしています。米国での苦労話をすると、「わかります!うまくカットするのは相当難しいです」とのことなので、私の髪質は筋金入りの難物のようです。

若い頃は髪型についても軽く試行錯誤がありましたが、この10年位は冒険せずに、ほぼ同じスタイルを貫いています。年齢を重ね白いものも混じるようになって来ましたが、これからも5週間毎の散髪は人生の楽しみの一つとなっていくでしょう。

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