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人生の下り方

本日は、『人生の下り方』という大上段に振りかぶったテーマに取り組んでみます。

書きたいテーマを忘れる

朝や昼間、『これ、書きたいなあ……』『これ、深めてみたら面白そう……』と思いついたテーマが、仕事を終えて部屋に帰って来た頃には、綺麗さっぱり忘れていることが非常に多いです。今日も、幾つか興味深いテーマを思い付いたことは覚えているのに、果たしてそれが何だったのかが、全然思い当たりません。そういう時、メモすることの大切さを痛感します。いいアイデアを埋もれさせてしまう知の機会損失は、できるだけ少なくしておきたいものです。

人生後半戦は下りのイメージ

日々考え、ブラッシュアップしているのは、『私に与えられた残り時間〜人生の後半戦〜をどうやって有意義に使うか……』ということです。人生後半戦は、壁のように聳え立つ階段を我慢して昇るのではなく、緩やかな坂道を軽快にゆっくりと下っていっているイメージで歩みたいものです。鼻歌しながら道草をしたり、景色に見惚れて立ち止まったり、好奇心に駆られて脇道へ邂逅したりすることも、大歓迎です。人生を味わい尽くす要素は、世間体のいい幹線道路以外にも一杯落ちていて、煌びやかではない分、ディープな世界が広がっています。

ある日に確固たる決意をし、書き留めておいた内容をいとも簡単に破り、数日後には真逆の行動を取っていることも少なくありません。自分のnoteを読み返すと、その当時に考えていたことが色々と思い返され、その時の自分が吸っていた空気の香りが戻ってきます。起こったこと、感じたことの全てを書き留めることは出来ませんが、"毎日note"の習慣は、過去の自分の思考の軌跡を辿る手段としていいなあ、貴重な記録として機能しているなあ、と改めて実感します。

noteとともに人生を下るのは、いいアイデアだなと思っています。手前味噌も甚だしいですが、自分の頭で考えたとは思えないようなポジティブで斬新な考えも残っていて、驚く時もあります。小さな成果を寄せ集めて『勝ち癖』へと転換出来れば最高です。一方で、過去の自分のネガティブな気持ちに触れると、慰めたくなったり、叱責したりしたくなったりします。

教育ってやっぱり大切

なんだかんだ言っても、教育の力は偉大です。『全ての教育は洗脳である』と注意喚起する人もいて、それはある一面事実だとは思っているものの、人は何かしらの教えや導きなくして、人生という長い道を歩いていくことは不可能です。全ての教育を否定してしまっては、異なる世界への道が広がっていきません。

新しい知識や情報をインプットし続けることが必要な反面、自分の受け止められるキャパシティには限りがあるので、詰め込んであった何かを捨てたり、忘れたりしないといけないという現実があります。その取捨選択をうまくやる能力だって、教育によって身に付けられそうです。

ストック出来る情報を無尽蔵に増やすことに貴重なメモリを費やすのではなく、OSをスムーズに駆動させる為のアップデート能力を磨くのが大切なのかな....  本日の記事は、自分が想像もしていなかったところに着地してしまったようです。一旦ここで筆をおきます。

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