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私の好きだった曲⑱:涙のフィーリング

本日は、約3か月ぶりに私の好きだった曲(1980年代洋楽しばり)シリーズの記事を書きます。第18回目は、REOスピードワゴン(REO Speedwagon)『涙のフィーリング Can't Fight This Feeling』(1984)です。


アメリカ屈指のベテランロックバンド

1967年にアメリカ・イリノイ州で結成され、1971年にデビューしたREOスピードワゴンは、何度もメンバーチェンジを経つつ、今も現役を続ける長い経歴を誇るロックバンドです。元々は、ドライブの利いた豪快なロックを得意とし、圧倒的なライブパフォーマンスで、ライブバンドして確固たる評価を得ていたものの、長らく大きな商業的成功には恵まれていませんでした。

彼らがメジャーシーンで人気を得るのは、1980年発売のアルバム『禁じられた夜 Hi Infidelity』以降です。このアルバムからは、『キープ・オン・ラヴィング・ユー Keep on Loving You』(全米No.1ヒット曲)『渚のレター In Your Letter』『テイク・イット・オン・ザ・ラン Take It on the Run』のヒット曲が生まれています。

そして、この『涙のフィーリング』(個人的には、この邦題は好きになれないのですが……)は、1984年発売の『ホイールズ・アー・ターニン Wheels Are Turnin'』 からの2枚目のシングルとして発売され、ビルボード・シングルチャートで3週連続の第1位(1985/3/9,16,23)を記録し、彼らの最大のヒット曲となっています。いわゆる"パワー・バラード”と呼ばれるタイプの作品です。同年に開催された『ライブ・エイド Live Aid』にも出演し、アメリカ会場でこの曲を演奏しています。

ボーカルのケビン・クローニン(Kevin Cronin)が本作の着想を得たのは1970年代のことで、その後長らくお蔵入りになっていて、完成までに何年も要したとされています。シングルカットして、ヒットするまでは、他のメンバーからは「馬鹿げたバラード」とあまり評判がよくなかった、とも言われています。

産業ロックという批判

彼らのようなサウンドを得意とするバンドは、しばしば「産業ロック Industrial Rock」と批判されます。本来ロックがもっていた精神を封印し、耳障りがよく、心地好いビジネス優先のサウンドに仕立て上げられた作品を揶揄する際に使われる、ネガティブサイドのことばです。著名な音楽評論家である渋谷陽一氏が、吐き捨てるように忌避しているタイプの作品です。金の為に、似非のロックもどきをやっている奴ら、という一種のレッテル貼りです。

渋谷氏が「産業ロック」として槍玉に挙げていたバンドには、ボストン、ジャーニー、ハート、ラバーボーイ、フォリナー、ナイトレンジャー、エイジア等々がいました。(自身の気に入らないバンドは、全て「産業ロック」と括っていたきらいがありました)

そんな風潮もあって、自称、”ロックファン”は、「産業ロック」に位置づけされそうなバンドを「好きなバンド」に挙げていると、「わかってないヤツ」「イタい奴」と陰で馬鹿にされてしまう傾向があり、声高には「好き」とは言えない空気がありました。実際の私は、上に名前の挙がったようなアーティストの楽曲が結構好きだったのですが、当時は言えませんでした。”ロックもどき”であっても、好きなものは好きなんだからしょうがない、と今ならば言えます。

PVがツボ

私がこの曲を忘れられない理由に、人の一生をモチーフにしたプロモーションビデオ(PV)があります。

一人の男が生まれ、成長し、結婚し、子ども(息子)が生まれ、やがて息子が独立し、夫婦は年老いていき、夫は最愛の妻に先立たれ、最後は静かに人生を閉じる…というストーリー仕立てになっている。このビデオの中でケヴィン・クローニン(Kevin Cronin Vo/G/Key)は特殊メイクを用い、最後の老人役で出演している。

Wikipedia解説より引用

歌詞の内容(恋していることを抑えきれない苦悩を滔滔と訴える)とは、必ずしもマッチしてはいないものの、彼らの演奏シーンの合間に、丁寧に上記のコンセプトに沿ったエピソードと物語が描き込まれていて、毎回観るたびに考えさせられてきました。

このストーリーと同じように息子を持ち、年齢を重ねていく自分の姿とタブって観てしまうせいかもしれません。特に、夜に聴くと切なく、しんみりした気分になります。

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