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数字に強い人への対処法

本日は、『数字に強く、数字を何より重視する人に対処する方法』について私なりに実践してきたことや思う所を記します。

数字はことば以上に強く刺さる

数字は、何千何百という美辞麗句や文章以上に強力なメッセージとインパクトを与えることのできるコンテンツです。数字を効果的に使うと、受け取る側にイメージを固定化あるいは流動化させることができ、事態を収めたり、一変させたりできます。

数字をうまく使える能力は、力の弱い人間、地位の低い人間が、腕力の強い人間や権力者に対抗するために頼りになる数少ない武器になります。ただ、一般的に社会的強者は、数字扱いに長けていて、数字の影響力の大きさを知る人が多いので、生半可に使うと大怪我することもあります。

組織運営に数字は欠かせない

組織の運営に数字が欠かせないことは、誰もが実感されている筈です。私が会社員になって痛感したのは、「数字は作られるもの」「組織は数字の裏付けなしには動かない」という事実でした。数字は王様なのです。世に蔓延る不正や特定方向への洗脳には、必ず数字の影響力が関与しています。

売上高や営業利益は、ある意図をもって作られていることを知ったのは衝撃的でした。会社には、会計年度毎の事業計画書(予算)があります。利益が予算を大幅超過しそうな場合に、投資や経費を増やして減益方向にしたり、逆に大幅未達になりそうな場合に、投資時期をずらしたり、費用計上を抑えたりして増益方向に是正する施策が打たれがちです。合法的な範囲での調整ですが、都合のいいように数字を化粧するのは常識と言ってよいでしょう。

私が仕事でやっていた数字の使い方

私は会社員時代、社内の数字感覚に鋭い人を説得する時、その人の気持ちのいい数字に整えたり、数字の見せ方を工夫したり、心理効果を利用したり、といった技を駆使して仕事をしてきました。

明らかな数字の捏造や偽装は許されません。しかし、裁量の範囲内で、前提条件、集計方法、切り上げ・切り捨ての工夫、表計算ソフトのラウンド関数の利用などによって、数字に化粧を施すことは何度もやってきました。

数字感覚に優れる人やその分野のビジネスに強い人であればあるほど、「こんな感じ」という数字イメージがあります。そのイメージを外さないことで、意思決定のスピードアップを図る、という工夫はやっていました。

逆に、議論を喚起したい時や立ち止まって考えて欲しいと願う時は、その人の持つ既存のイメージから乖離のある数字をぶつけて、違和感を喚起して、問題認識させるという手も使っていました。

数字が曇らせるもの

大袈裟に言うと、数字によって、あるものがないように、ないものがあるように、見せることができます。

例えば、ある会社の当期売上高が、12,156,548円だったとします。
これを10万円単位で四捨五入して「売上高12.2百万円」と書けば、43,452円を水増ししたことになります。10万円以下を切り捨てて「売上高12百万円」と書けば、156,548円を切り捨てたことになります。

この程度であれば、実生活で大問題になることはないでしょうし、罪の意識もないでしょう。しかしながら極めて厳密に考えれば、存在しないものを存在するように偽装したり、存在するものを存在しないものとして排除したりする行為ではあります

実社会では、人間だって数字に置き換えられて、水増しや排除の対象になります。広く知られる大虐殺事件の犠牲者数は、立場の違いによって、できるだけ少なくみせたい/できるだけ多くみせたいという意図が働くためか、真相は藪の中というものばかりです。

虚心坦懐に

数字の魔力・怖さへの認識・謙虚さを軽く見る人は、雑な数字の扱い方や印象操作的トリックに簡単に騙されます。重要な意思決定の根拠に数字を用いている場合は、その数字の成り立ちがどうなっているのか、十分に意識しておく必要があります。

最大の敵は、先入観と偏見です。巧妙に造り込まれた数字マジックは簡単には見抜けない、と思いがちですが、本人の先入観や偏見が邪魔をして、数字の発している怪しいメッセージを見落としていることも少なくありません。

社会生活を営む上での共通言語とも言える数字が、事件やトラブルの経緯になる事例も少なくないだけに、虚心坦懐に数字に対峙したいとは思います。とはいえ、厳密性に拘ると行動のスピードが鈍るし、疑い始めるとキリがないので、どこかで割り切って進めることも必要です。その辺の匙加減がとても難しい、というのが数字に縛られざるを得ない現代人の悩みでしょう。

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