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士農工商制度を再考する

本日は、江戸時代の『士農工商制度』について再考する、という私の中ではまだ熟成途上のテーマです。今後深く勉強を進めて、意義を再検証したいと思っています。この記事は、今後、学習を進める中で、初稿に何度も上書きすると思うので、原型をとどめなくなると思います。

階級社会への敵視

江戸時代の身分制度『士農工商(私の世代は+〇〇も言われていた)』については、小学生で習った頃から嫌だなあ、という気持ちがありました。人間を身分や階級毎に区分けして縛り付ける制度は許せない!、という気持ちが非常に強く、『階級制度』ということばには、嫌悪感すら抱いてきました。

『階級制度』が支配する社会には、特定の限られた上位層に属する人間が、大部分の下位層の人々を抑圧的に支配し、搾取し放題、というネガティブなイメージが非常に強くありました。一度染み付いてしまったこの感情は、先入観となっていて、なかなか払拭できずにいました。

志と能力のある人間(この区分が既に問題がありますが)が、下層階級に留め置かれて、社会進出を阻まれるのは理不尽だ、という憤りがありました。福澤諭吉の『天は人の上に人を作らず』にこめられた本当の意味を知らず、人間皆平等と解して、がっつり信奉していました。

実は柔軟に変更できた身分制度

江戸時代の風俗や社会生活に触れた書物やコラムには、『士農工商』の身分制度は固定的なものではなく、一定の制約はあるものの身分間移動は可能だった、単なる職業区分・役割区分的な意味合いしかなかった、そもそも身分制度自体が存在しなかった、といった最新の研究成果も書かれています。

支配階級の士だけがいばっていて、被支配者階級に分類される農・工・商の人々に、一方的な理不尽が押し付けられていた訳ではなかった、という説も有力です。小役人クラスの下層武士の生活は苦しく、不満が鬱積していた、とも言われます。史実を知れば知るほど、思考停止やイメージ先行で、階級制度を糾弾するのは考えものだ、と考えを改めることになりました。

現代も形を変えた士農工商が存続

現在、『士農工商制度』というような身分制度は、公的には廃止されているものの、時代とともに確実に変質を遂げつつ、現代に至るまで日本社会に受け継がれているように思います。

天皇・皇族は無条件に特別な存在と考えられているし、官僚や政治家、士業(弁護士・会計士など)・医師・学者・大企業幹部などを、支配層に属する「上流階級」と考えるフシがあります。マスコミ報道の影響も多分にありますが、社会の暗黙のルールとして、伝統的に受け継がれている気がします。

橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書2019)で赤裸々に解説されていることは参考になります。平等である筈の国民が、実際には上級と下級に分断されているのは、階級で分断されている社会よりも悪質で危険、という警告も書かれています。

社会体制を考えた場合

大衆の意見が強過ぎると、衆愚政治へと陥る危険があります。社会の設計・運用・調整には、見識に恵まれた公正無私の人物があたるのが、社会全体の利益になります。

階級毎を行き来できる流動性と人道主義に反する不利益取扱の禁止が確保されているのであれば、『階級制度』に準ずる制度がワークしていることは、社会の安定性を保つ上ではメリットなのかもしれません。

体制論の視点でみた場合の『柔軟性と寛容性のある階級制度』のメリットも考えてみたいと思います。

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