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今、仕事の位置付けを考えておく

4月から新年度がスタートしました。大学を卒業して社会に出た1991年4月から数えると、34年度目になります。この間、私の身の置く場所、仕事観や取り組む姿勢は大きく変化したと思います。2024年4月時点の私の仕事の位置付けを考えておきたいと思います。


働くことは大切だと思う

今も昔も、働くことは大切だと思っています。社会の中で許容されて居場所を確保する為には、何らかの仕事をして周囲や社会に貢献している、と思える状態を作っておくことが、健全な精神を維持する為に大切だと思います。経済状況が恵まれていて食べていく為に働く必要が全くないような人でも、社会の中で居場所を保っているという自己肯定感がないと、胸を張って生きていくのは難しいような気がしています。少なくとも私は、そう考えるタイプのようです。

50歳を過ぎる頃までは、業務内容や人間関係や評価や待遇に不満があっても、組織の一員として働くこと、職場の仲間と仕事をすること自体に、強い疑問は差し挟むことはなかったように思います。「五体満足な恵まれた境遇に生まれてきた以上、社会や組織の歯車と言われようと、損な役回りをあてがわれようと、我慢して働き続けるのが当然」という、醒めた感覚がありました。何者かになってやろうという強い意志や、成し遂げたい人生の目的も不足していたせいか、基本的には成り行き任せでした。幸いにして、心を病んだり、身体を壊したりするようなこともありませんでした。ただただラッキーだったと思います。

仕事はあった方がいい

働くことの意味は、常に考えていたような気がするのですが、実際にはそれ程真剣に考えていなかったのだと思います。どうやって自分自身のキャリアを築いていくかというビジョンも非常に中途半端でした。

私が世に出た頃はまだ、一つの会社に入ったら、そこで次々とキャリアを積んで定年まで働き続けることが常識だと考えられていました。私は、会社に対する愛着や忠誠心は常に薄く、組織から同調圧力を求められて生きることは昔も今も好きではありません。とはいえ、組織に属することにはメリットもデメリットもあるので、強かに利用すればいいと考えています。

周囲から「仕事ができない」というレッテルを貼られることや業績に貢献できていなくて肩身の狭い思いをするのは絶対に嫌でした。あくまでも自分なり、自分基準ではありますが、目の前の業務には一生懸命に取り組もうとしたし、その仕事を巧くこなす為のスキルアップの努力はしたし、期待には応えようとした気がしています。結果的に28年半で退職を決めたものの、私のやってきたことに悔いや未練はありません。

はっきりと肩を叩かれて退職することを決めた訳ではないので、「あのまま辞めずに続けていたらどうなっていただろうなぁ……」と全く考えない訳ではありません。まあ、あの頃の精神状態から変化を選ばずに踏み止まったとしたら、残る人生で後悔していた確率は高いように思います。

社会復帰してみて

2019年10月からの二年間は、完全に「労働」から遠ざかっていました。諸々のしがらみを断ち切って、自由な時間・立場を手に入れたことは無駄ではなかったものの、同時に期待していた以上の成果や満足感は手に入れられなかったような気がしています。想定内というところです。

FIRE生活も悪くはなかったものの、労働者として社会復帰した方が色々都合が良いだろうと思い始めた頃に現在の挑戦が目の前に現れました。「働くことが好きか?」と問われたら、今も昔も「条件次第・環境次第・気分次第」と答えます。好き嫌いの二択で線引きできる程、仕事は単純なものではないと思うからです。今でも働きたいと思う時も、働きたくないと思う時もあります。仕事が人生で最も大切だとは全く思いませんが。

フルタイムで責任ある立場で働き続けるのは正直勘弁して欲しいものの、70歳くらいまで自分の労働力を売り続けることは、私のような怠惰な人間には節度を守るよい習慣になるかもしれません。

今、こうして縁を貰って松本にやってきて、仕事量的には少なくても、毎日職場に通い、何らかのお手伝いができる場があることは、幸せなことです。今の私にとって、日々の仕事とは、家計を助けるライスワークという位置付けではあるものの、求められる水準のアウトプットはきっちりと残していく必要がある、という思いは持ち続けています。

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