見出し画像

一生懸命は尊い

本日は、『一生懸命は尊い』という初心に立ち返って、思考を深めてみようと思います。

一生懸命やらなくなって

一生懸命《「一所懸命」から》
1 命がけで事に当たること。また、そのさま。
2 引くに引けないせっぱ詰まった場合。瀬戸際。
ー デジタル大辞泉

一生懸命やったことが、自分の目指した目標に遠く及ばず、誰からも認められない結果しか残せなかったとしたら…… それは惨めな気持ちになるのも仕方がありません。私には、情けない結果しか残せないことを恐れるあまり、寝食を忘れるくらい一生懸命努力することを恐れる気持ちがあります。自分の費やした情熱や努力が無に帰するくらいなら、自分の出せる全力を振り絞らず、最善も尽くさず、自分が苦労なくやれる水準の努力でお茶を濁しておこう、としていることが少なくありません。

実際問題として、全てのことに全力で、一生懸命に対処してばかりいては、疲れ切って、いつか燃え尽きてしまいます。それよりも、涼しい顔で結果を残すことが、カッコよく見えてしまうこともあります。

一生懸命が尊敬されない空気感

私には過去に、自分が一生懸命に取り組んでいることを揶揄されたり、嘲笑のニュアンスのある侮蔑的意見を浴びせられたりした経験があります。直接面と向かって言われてはいなくても、陰で馬鹿にされていることを知って、悔しい思いに駆られたこともあります。その時味わったマイナスの感情が、結構なトラウマになっています。

心の底から好きなことを探すこと、好きなことに一生懸命頑張り続けることがなかなかできなくなっています。好きなことをやって、結果が出せなかったり、成功できなかったりしたら、自分の悲しみが深くなることを知ってしまってからは、一生懸命やっている人に対して、冷ややかな目を向けることもあることに気付きます。自分を馬鹿にしたり、軽視したりしている人の一生懸命な姿を見ても、素直に応援できません。それに後で気付くと、自分は嫌な人間だな、器の小さい人間だな、と残念な気持ちがこみ上げてきます。

一生懸命やったことを誇る方がいい

原則的には、一生懸命やっている人を揶揄するのは間違っている、が正論として通用する社会であって欲しいと願っています。初心に戻り、私自身がしばらく遠ざかってしまったこと、
● 目標に向かって一生懸命努力する、
● こたえの出ない問題を一生懸命考える、
● 一生懸命頑張っている人を応援する、
といった人間として真っ当な行為を、心がけたいと思います。

一生懸命やったことを他人に称賛されたいという態度は間違いのもとです。そして同じくらい、他人に一生懸命を強いるのもトラブルの素です。一生懸命やりたい人が、一生懸命やりたいと思った時に、一生懸命やればいい、のです。そして、その挑戦については結果の如何に関わらず、自分で自分を褒めたらいいし、自分で自分を誇ればいい、と思います。

シンプルに、一生懸命やっていると、爽快感があります。一生懸命やることにシラけないように、清い心を持っていたいものです。


サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。