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私の社会人1年目…

社会人1年目は、学生生活と訣別し、仕事を始めた年という事実が全てで、それ以上でもそれ以下でもありません。とにかく変化が大きく、時の経つのが長く感じられた1年でした。暮らす場所も変わったし、触れるもの、経験することに色々と刺激を受けたことで、現在の自分の価値観の少なくはない部分が、社会人1年目に形成されたと思っています。

社会人1年目前夜

大学4年生時は、非常に恵まれた時間を過ごすことが出来ました。卒業に必要な単位は大学3年生までにあらかた揃えてあったし、春のリーグ戦を満足のいく結果で終えてホッケー部を現役引退し、夏前に会社の就職内定を貰ってからは、自分の裁量で、自由に過ごせる時間がたっぷりとありました。まさにモラトリアムを謳歌しました。

時はバブル絶頂期で、当時の就職事情は、企業から買われる側の学生にとって空前の売り手市場でした。就職活動が辛かった印象は全くありません。

ホッケー部を引退してからは、ホッケーをやっている頃には付き合いのなかった学部の同級生との交友関係が拡がりました。それまでの私は、人付き合いが苦手だと思い込んでいたのですが、気の合う仲間に囲まれて、学生らしい遊びを一緒に経験することで、少し自信を持てるようになりました。学生時代の仲間達とは今も交流があり、私の人生を彩るかけがえのない財産となっています。

慣れない会社生活は… 新鮮で楽しかった

3月に卒業するまでいい流れで過ごしていたので、充実した学生生活が終わることの寂しさが、社会人になる不安に勝っていました。社会人になることを深く考えることもなく、勢いのまま会社に入社してしまったのです。

入社直後の4月は、まるまる会社の研修期間中だったので、まだまだ学生気分が残っていました。ゴールデンウイークの連休中は地元で友人達と連日遊び、連休最後の日に東京へ出てきました。

新幹線が、東京駅の構内に滑り込む直前に窓から見た東京タワーと国会議事堂の光景は、今でもよく覚えています。ようやく、「遂に戦場に来たのだ」「この東京で俺は生きていくのだ」という不安と期待が入り混じった感情が芽生えたように思います。

私にとって、東京に住むこと、東京で勝負することは、大学受験を失敗し、最初の挫折を味わってから常に燻っていた長年の夢でした。ようやく夢が叶い、憧れ続けた東京で社会人生活の第一歩を踏み出せたのでした。

今振り返れば、新入社員の頃にやっていた仕事なんて大したことはなかったと断言できますが、未熟なりに一生懸命やりました。田舎育ちの上、社会人としての礼儀や常識もよくわかっていなかったので、教えてもらうことや触れる情報はどれも刺激がありました。

まだバブル景気の余韻も残っていて、上司や先輩には、頻繁に飲みに連れて行って貰っていました。飲み会で上司や先輩の昔話や武勇伝を聞けるのは結構楽しみでした。(今の私は仕事関係の飲み会は憂鬱ですが…)自分もこの職場で早く一人前になりたい、活躍して認められる存在になりたいという目標に、一点の疑いも抱いていなかったように思います。

周囲から早く戦力と認めて貰いたい、一人前になりたい、仕事を振って貰いたいという気持ちだけ強くて、実力もないのに気持ちだけ空回りして、勝手に焦っていた気もします。若手ビジネスマンをターゲットにした雑誌や論文なんかも背伸びして読んでいました。

数年後には、とめどなく続くサービス残業の日々に心折れそうになるのですが、1年目は時間的・精神的余裕もあり、吸収と成長の日々でした。当時の周囲の方々には本当によくしてもらったと思います。

社会人1年目の私生活

私生活では、自分で稼いだお金で堂々と楽しめることが嬉しかったです。安月給でも、自分が稼いだお金で本やCDを買い、友人と飲めるのはとても嬉しかった記憶があります。

当時はジュリアナ東京なども健在で、まだ華やかな時代でしたが、私はそういった狂騒とは距離があり、割と平凡で地味に過ごしていました。クルマを買いたかったので、計画的に貯金もしていました。

それでも、独身寮は同期入社の仲間も多かったので、金曜日の夜や週末には、連れ立って街へ繰り出すこともありました。一緒に東京に出てきた学生時代の友人達とも頻繁に連絡を取り合って、定期的に遊んでいました。

社会人1年目にネガティブな思い出はほとんどありません。時を遡って、当時の自分に出会えるとしても、「今のまま頑張れ」とエールを贈るでしょう。強いてあげると、仕事で疲労と緊張感があった分、私生活を全力で遊ぶ気力が薄かった。でも、あの時に否定的感情は一切ありません。

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