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必要な人とは出会うようになっている

本日のnoteでは、『必要な人とは出会うようになっている』という私が漠然と思っていることを掘り下げてみます。


人との出会いが運命を左右する

人の運命は、誰と、いつ、どのように出会うかによって大きく左右される、と考えています。自分の磨いてきた能力や守ってきた意志よりも、偶然の出会いに左右されてしまうのは納得できないものがあるものの、そういうものなんだろう、というのが現在の正直な感想です。

出会いは一期一会です。出会いのやり直しはききません。自分の運命を左右する可能性がある人と出会っても、その瞬間に交わらなければ、関係はそれっきりのものになってしまいます。

どのような環境にあっても、出会う相手によっても、進む道が左右されないような真の天才ならば、話は別かもしれません。しかしながら、大抵の人は、出会った人から影響されたり、支援を受けたり、災いをもたらされたりして、自分の人生が明るく花開いたり、大きく歪んだりします。

自分に相応しい相手としか出会えない

できることなら、自分を社会的に引き上げてくれて、人生にプラスを与えてくれる人達だけに囲まれて、日々を過ごしたいものです。

私には、~そんなことは現実社会で起こり得ないということは頭ではわかっているのに~ 自分よりも格上の素晴らしい人物が、私に宿る特別な才能を見い出して、引き上げてくれるというシンデレラ・ストーリーを夢見て、妄想していた時期があります。本当にお恥ずかしい話ですが、私には何か他の人間とは一味違う特別な能力があると、根拠なく自惚れていました。

50年以上自分の人生を生きてみて、結局の所、その時に自分の持っている能力や価値観、外見、影響力、内面的魅力に相応の人を、自然に引き寄せるのだということがよくわかりました。

自分から何もしないのに、分不相応な奇跡が自分の身に起こることはないということを、人生経験を重ねた結果ようやく理解しました。人は、必要な時に、必要な人に出会うようになっているのだ、と信じるに至っています。

自分を形作ってくれた人たち

今まで出会ってきた人の顔や言動や態度を思い浮かべてみます。ボタンの掛け違いから疎遠になってしまった人、あの瞬間がなければ交わる可能性はなかったのに、濃密な付き合いになって今にまで続いている人がいます。

はっきりとした答えは見つからなくても、これまでに出会った人達を思うことで、自分の人生が何によって形作られてきたのか、朧気にでも見えてくるように思います。無数の人達がいる世の中で、その人と出会い、人間関係が生まれたのは仕組まれた運命のような気もしてきます。

アルコールが入って書いているせいか、最後の方は支離滅裂になってしまいました。予期せぬ偶然の出会いを、気持ちよく楽しみたいものです。

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