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「自分の好きなことをやれ」を疑う

本日は、『「自分の好きなことをやれ」を疑う』というテーマで、ちょっと熱量を上げて語ってみます。私がこれから展開しようとしている中年の主張は、夢も希望も何の面白みもない砂を噛むような内容へと着地するかもしれません。しかし、そのような八方塞がりのような状況の中でも、手探りで光明を見出すのが人生の醍醐味だと思うのです。


「もう聞き飽きたよ」そのことば

「自分の好きなことをやれ」という主張は、世に溢れています。学校や職場、テレビやネット、家庭や友人達の会話の中にも頻繁に顔を出します。ちょっと周囲を見渡せば、夢破れた人が四方八方で呻いているにも関わらず、ほんの一握りの輝く現在を手にした人が、「こっちへ来い」と笑顔で手招きします。自分がその一人として選ばれている確証もないのに……

リソースを何も持たず、誰からも護られていない状況で、「好きなことをやる」というただ一心で闇雲に突っ走れば、かなりの確率で聳え立つ壁に跳ね返されます。門前で追い払われる経験はショックではあるものの、早い段階で跳ね返された挫折なら、まだ傷は浅い状態で引き戻せます。ところが、実力と好運と時代が重なって、最初の扉をこじ開けて階段を昇ってしまうと、途中で「これは自分の望んだ世界ではない」と思っても、なかなか後戻りができなくなります。進み続けた先が閉ざされていたとわかっても、引き戻すことも、脇道に迂回することも、立ち止まることもできず、袋小路に迷い込んだまま、時間だけを空費してしまう可能性もあります。そうわかった時の徒労感・虚無感は計り知れないものがあります。

「好き」は一過性の可能性が高い

「好きなことをやる」がリスキーだと感じる別の理由として、そもそも「好き」という状態がかなり主観的で、安定性・継続性に欠ける場合が多いと思うからです。「好き」というのは感情であり、推し量ることがなかなか難しいですし、移ろい易いので、一過性で終わる可能性も高いと思うのです。

「好き」を基盤に行った選択は、自分の予期せぬ事態に直面すると、簡単に放り出されることも少なくありません。例えば、「山が好き」「海が好き」と言う場合の「好き」が、ある特定のポジティブなイメージで構成されていると、命にも関わるような豪雪や嵐に遭遇した場合、一瞬にして崩壊するかもしれません。

「自分の好きなことをやれ」と言うなら丁寧に

そんなネガティブ寄りの意見を持つ私は、「よき人生を送るには」と問われれば、「自分の得意なことをやれ」という答えを選択するでしょう。これは必ずしも、「自分の好きなことをやれ」と正反対の意見ではありません。大体において「得意なこと≒好きなこと」という場合が多いからです。好きなことか、得意なことか、という二択で問いを立ててしまうから変な誤解を生むのであって、「自分が得意なものの中で、"比較的好きなこと~嫌いではないこと"を選べ」と、丁寧に言うべきかもしれません。

私の考える「得意なこと」とは、他者よりも自分の方が断然優れていると評価されていること、他人はそれをやるのに酷く苦労するのに、自分は殆ど苦にならないこと、です。好きだから得意になる場合が多いものの、何か進む道を決める時には、好きよりも得意を優先すべきと思っています。他者比較で優位にあること=得意なこと、を判断の基準とすれば、完全には無理でも、客観的・合理的な選択ができそうです。他者よりも優れた実績を残せる分野に足跡を築くことは、社会にとっての適材適所にもなり、最適な社会貢献となるように思うのです。

「好きなことをやれ」が人気のある理由

私はそう考えているので、「得意なこと」が多い人ほど、人生を有利にプレーできると思っています。家柄の良い裕福な家に生まれ、優しく良識的な両親に大切に育てられ、勉強ができ、スポーツができ、ルックスも良くて…… という好条件が揃っていれば、何をやっても成功できそうな気がします。

「好きなことをやれ」が人気なのは、本当の意味で社会の一員としての責任の意識が希薄で、社会人としての義務を背負いたくないという意識が根底にある人が増えているせいではないのか…… と穿った見方をしてしまいます。好きなことをやっていると、「楽しい」と感じるのは確かです。「楽しい」と感じている状態は、判り易く「幸福感」に直結していきます。この「楽しい」気分は麻薬のようなもので、一度味わうと、また味わいたくなるし、他人にも奨めたくなるものです。

一方、「得意なこと」をやることは、社会貢献だと思うのです。自分の資質を社会の中で活かす為に、「得意なこと」で力を発揮するのは、「好きなこと」をやるのと同じくらい、もしくはそれ以上に尊いことだと思います。世間には、好きなことを諦め、宿命的に引き継いだ役目やどん底の中で偶然に巡り遭った環境で花開いたという事例が多く見られます。「好きなこと」を自由に追いかけ続ける人生は確かに素敵だし、憧れますが、自分の役割を受け容れ、その運命に殉じる生き方も同じくらい素敵だな、と思うのです。


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