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リポジションという考え方から

本日は、ソニーのトップ(1995‐ 社長、1999- CEO、2000-会長兼CEO・2005年退任)を務め、今年6月に亡くなった出井伸之氏(1937/11/22-2022/6/2)が提唱する『リポジション』についての記事から考えます。


人生のリポジションという考え方

記事冒頭で語られている以下の部分、特に太字部はその通りだと思います。

環境を変えるのには、リスクがある。居心地も一時的には悪くなる。
慣れた環境で、いろいろな物事がわかった中で、ベテランの顔をしていたほうが、心地いいに決まっている。その状態がずっと続いていくという「保証」があれば、それで構わないと思う。しかし、これこそが、多くの会社員が陥ってしまう罠だと僕は思っている。
ある日突然、大きな変化が訪れる時代、これからの会社員には既存の延長ではない変革、「ABC戦略」が必須になると思っている。

出井氏が語りかける対象は、学校を卒業して、一つの大手企業でずっとキャリアを積んできた40代くらいの男性サラリーマンでしょうか。この記事のもとになった著書、『変わり続ける 人生のリポジショニング戦略』(ダイヤモンド)が発売された2015年、私はどんぴしゃりのターゲット読者でした。(読んでおりませんが……)

出井氏とはスケールが違いますが、私も人生のリポジショニングを実行した人間です。その決断を評価するのは、まだ時期尚早です。転身は、大成功だったとまでは思っていませんが、失敗したとは全く思っていません。

リポジションしないと腐る

出井氏の説く『リポジション』の定義は、

自分の置かれている環境、そして自らの価値観を変えること。

というものです。そして、この記事で紹介されている出井氏の説く考え方には、概ね賛同します。自分が組織の中で伸び悩んでいる、と感じていた30代の頃は、環境を変えることをしばしば考えていました。しかしながら、出井氏が推奨する40代になる頃には、会社生活への希望と期待が戻り、任された責任と権限を楽しみながら仕事に向き合えていたので、リポジションを実行するという考えは、ほぼ消えていました。

その時の判断を後悔はしていませんが、結果的には、この時期に自分自身の意欲とポテンシャルが削られ、能力の陳腐化が急速に進行していったような気がします。ある程度、自分の思い通りに仕事が回っている状況が続くと気持ちが良く、知らず知らず未知の世界に踏み出すのを敬遠し、身近な手の届く世界の範囲内で安住していたい気持ちが強くなっていたように思います。それは私のビジネスマンとしての限界でもあり、運の巡り合わせでもあったと考えています。

ソニー経営者としての出井氏には……

出井氏に関しては、その人柄や価値観、ソニー退任後の精力的な活動に好意的評価も数多いものの、ソニー在任中の経営手腕には賛否両論があり、評価がわかれる経営者でもあります。

CEO(最高経営責任者)、執行役員制度、コーポレート制度などの新しい企業統治形態を早々に導入し、日本企業に定着させた立役者であり、間違いなく20世紀後半を代表するカリスマ経営者であったと思います。日本企業の国際化推進にも重要な役割を果たしたと思います。『これからは、世界標準の経営が求められる』というようなことも主張されていた記憶があります。

ただ私は、ソニー経営者の出井氏に対しては、複雑な思いを抱いています。ソニーに根深く息づいているように見えた『ものづくり精神』『パイオニア精神』をかなりの部分で変質させ、ソニーをすっかり別の企業に変貌させてしまった張本人、という負のイメージを持っています。また、その社会的影響力の大きさから、図らずも日本産業界の凋落を後押しするきっかけを作ってしまった人物ではないのか…… という恨みのような気持ちも持ち続けています。

彼個人の歩んだ人生は、波瀾万丈で、満足のいくものだったと思います。遺された私たちは、彼のようなカリスマ経営者達が遺してくれた正の遺産は、現代の風潮にフィットするように焼き直して受け継ぎ、顕在化した負の遺産は、価値観の転換を図って乗り越えていく必要があるのでしょう。

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