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忘れてはいけない日を忘れていた自分が思う神戸の街

昨日、2021年1月17日は、阪神淡路大震災から26年目にあたる日でした。年々記憶が薄れつつある中、せめて思いを馳せる日にしようと誓っていたのに、昨日の私は完全に失念していました。

26年前の震災で、私が”ふるさと”と位置付けていた神戸の街は大きな被害を受けました。揺れと火災によって崩れ去った建物も多く、生き残った建物も後に取り壊されたり、建て直されたりして、神戸の風景は私が過ごした当時から一変しています。26歳以下の人たちにとっては、阪神淡路大震災は実体験していない歴史上の事件であり、現在の姿が「神戸」として認識されていると思います。

時間の経過の中で風景が変化していった街と何か外的要因によって強制的に変更を強いられた街とでは、何か違った空気感があります。街はもともとあらゆる人々の思惑が重なって、人工的かつ合理的に造営されながら変化・発展していくものではあります。それでも、混沌的に変化を遂げてきている帰納法的な街と計画的に変化を続ける演繹法的な街とでは、はっきりとした違いがあると感じます。

街が開祖されて以来一度も天災や侵略を経験していないというスウェーデンのストックホルムと第二次世界大戦で連合国の侵攻によって街が破壊され尽くされた後に計画的復興を遂げたドイツのベルリンとでは、「何か空気が違った」という記憶が残っています。頻繁に訪れる訳ではない場所だからこそ、感じた感覚かもしれません。過去に破壊された記憶を宿している街の空気感と形容すべきでしょうか。

私の記憶の中にある神戸と現在の神戸とは連続的には繋がっていない、1995年1月17日を境に分断されている、とはっきり感じ取っています。それは否定的な意味ではなく、20代前半の多感な時期を過ごしたあの時の神戸とそれ以降の神戸とでは支配する空気感が変わっている、という個人的な実感に過ぎません。

私は今も神戸の街が好きです。神戸の街が力強く復興を遂げたことは、本当に喜ばしいことです。緻密なグランドデザインを定めて計画的に造られた整然とした街が嫌いではありません。震災以降に育まれた今の神戸の街を好ましく思っている部分があります。

私は2020年の正月以来、一度も神戸を訪れていません。これまでの人生でこんなに長く神戸の地から遠ざかった経験はありません。遠ざかっているからこそ、余計に過去へのノスタルジアを感じているのかもしれません。


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