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私の好きだった曲⑨:カモン・アイリーン

『私の好きだった曲』シリーズの第九弾は、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ(Dexys Midnight Runners)の『カモン・アイリーン Come On Eilleen』です。

衝撃の一曲

何から何まで驚きの一曲でした。一度聴いたら耳を離れない独特のメロディー、長く覚え辛いバンド名、退廃的な香りも漂うプロモーションビデオ、メンバーたちのシャビ―で自由過ぎるファッション…… 

この曲を含むアルバム『Too-Rye-Ay』のジャケットはかなり個性的で、邦題名は『女の泪はワザモンだ!!』です。「これ何?」と思いました。

当時のヒット曲とは一風変わった雰囲気のこの奇妙な曲は、マイケル・ジャクソンら並み居る大物アーティストの楽曲を蹴散らして、全米シングルチャートNo.1を奪取し、1983年の英国ブリッド・アワード(日本のレコード大賞みたいなものか……)のBest British Singleを受賞しています。

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズとは?

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズは、ケビン・ローランド(Kevin Rowland 1953/8/17-)とケビン・アーチャー(Kevin Archer 1958/12/21- 1981年に脱退)によって、1978年に英国バーミンガムで結成されています。

バンド名は、日本では覚醒剤に指定されているアンフェタミンに含まれる成分で、交感神経を興奮させる効果のあるデキセドリン(dexedrine)に由来します。デキセドリンに覚醒した状態で真夜中に走り回るという(midnight runner)物騒な意味を持ちます。

1970年代後半、英国に吹き荒れていたパンクブームの陰で、ポスト・パンクの動きも活発化し、音楽シーンは混沌としていました。デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズは、パンクの精神を宿しつつも、表現方法やファッション面では”パンク的な”スタイルを拒否し、ホーンセクションやアコースティック楽器の採用、ケルティック・フォーク的な音作りを行っていました。

1980年に発売した『Geno』は、アメリカのソウルシンガー、ジーノ・ワシントン(Geno Washington 1943/12-)に捧げられた曲で、全英No.1ヒットを記録しています。デビューアルバム『若き魂の反逆児を求めて Searching for the Young Soul Rebels』もヒットして順調なスタートを切ります。

『カモン・アイリーン』は、1982年6月に発売され、全英シングルチャートでNo.1、翌年には全米シングルチャートでもNo.1を記録し、彼らの代表曲、最大のヒット曲となっています。

『カモン・アイリーン』豆知識

● 1983年4月23日のビルボードTop100において1位を獲得。当時人気絶頂のマイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン Billy Jean』(前週まで7週連続1位を続行中)、翌週から3週連続1位を獲得する『今夜はビート・イット Beat It』に割って入った『奇跡の一曲』として、歴史にその名を刻みます。
● サウスロンドンで撮影されたミュージックビデオの中で、”アイリーン”を演じているのは、1980年代の人気女性ボーカルグループ、バナナラマで活躍したシヴォーン・ファーイ(Siobhan Fahey 1958/9/10-)の妹の、マイラ・ファーイ(Máire Fahey)です。
● 伝説のロックバンド、BOØWYの代表曲の一つである『ホンキ―・トンキー・クレイジー』のサビ部分が、『カモン・アイリーン』のメロディーラインと似ているとの指摘があります。

忘れ得ない曲

私にとって、この曲は忘れようと思っても忘れられません。不思議な高揚感を与えてくれる曲で、冒頭のイントロを耳にしただけで即座に反応してしまいます。私の同世代の友人や知人にも同じ感想を言う人が多いです。

当時14歳で、家庭、学校、地域のコミュニティなど小さな世界しか知らない私が、ちょっとだけ開いた穴から不思議な世界を覗いた感覚がありました。あの時にオンタイムで出会っていなければ、今に至るまで記憶に残り続ける一曲にはなっていないでしょう。この曲を、1980年代を代表する名曲に認定することに異論は少ないと思います。



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