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予想が当たらない

本日は、自分は一体全体どういう存在なのか、と考えているうちに思い当たったことです。それは、私が捻り出す予想や予言は、かなりの確率で当たらない、ということでした。『予想が当たらない』ことを自覚し、私なりの処世術を考えてみようと思います。

長年の確信

私が捻り出す予想や山勘は、あまり的中することがありません。それは、単なる思い付きで語った内容であっても、ある程度もっともらしく理屈を組み上げて作ったストーリーの場合でも、精度はさして変わりません。先見の明とか、先読みのセンスといったものを、どうやら持ち合わせていないようです。甚だ残念なことですが、目の前に転がってきていたかもしれない幸運やツキを、むざむざ見逃していたかもしれません。

自分の行う予想はあまり当たらない..... という悩みは、長年の時を経て、今では確信に変わっています。なので、何か予想を立てて勝負に出なければいけない時は、外れた場合のリスクヘッジを意識します。また、そもそも確実性の乏しい勝負に出なければならない状況に陥ることを避けることも意識してきました。実際の所、予想が当たらないことを自覚していたことは、決してマイナスばかりでもなかったなあ、という気もしています。

苦手は克服できなかった

予想が外れ続けることで、私には賭博の才能が乏しいことを自覚しました。勝負師としてやっていける強いメンタルも、持ち合わせてはいないこともわかってきました。自分は、探究心や好奇心が旺盛で何かとこだわりが強い一方で、人や物事への執着は薄く、淡白な気質なのだと考えるようになりました。ビジネスマンとして淡白だったり、先見の明がないことは、致命的な弱点になるので、苦手分野であった、粘る、耐える、食らいつく、を意識していた時期もありました。

私の元々持っているこうした資質は、ビジネスには不向きである、と考えています。生計を立てる為に我慢して踏ん張ってはきたものの、年齢を重ねるにつれて、自分が理想とするビジネスマン像とはどんどんかけ離れていく現実がありました。一方で、極度の負けず嫌いの気質もあるので、自分の強みを発揮出来て、他人よりも優位に立てる場所をずっと貪欲に追い求めてきた気もします。

私が最も嫌なのは「センスがない」と思われることでした。努力家で、杓子定規なクソ真面目で、ハードワークも厭わないのに、成績がパッとせず、結果を出せないようなタイプは、軽蔑の対象でした。しかしながら現実の私は、自分が嫌悪し、軽蔑していたこのようなタイプの人間だったのかもしれません。

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