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心が楽しめと言っている

2020/4/5時点の状況の記録

世界の新型コロナウイルス感染者数が110万人、死者数が6万人突破し、日本国内でもそれぞれ、3,364人、81人となっています。(2020/4/5正午時点の日本経済新聞社集計)

日本の場合、緊急事態宣言発動が遅きに失した感じで宙に浮いてしまっているため、各自治体も都市機能封鎖(ロックダウン)を合法的に発動できない状況です。各首長が市民に活動自粛要請を呼び掛けるに止まっています。

欧州、米国で猛威を奮っている新型コロナウイルスは、発生源と言われている中国やアジアで初期段階で流行したものが変種した、より感染力が強く、重篤化危険の強いタイプであるという情報が流れています。感染拡大の背景として、欧米滞在中にこの変形種に感染した日本人が帰国時に持ち込んでしまった可能性も指摘されています。このまま日本でも感染爆発してしまうのか、政府言う所の「ギリギリの所」で踏み止まって、沈静化・終息化に持っていけるのか、現段階では全くわからなくなってしまいました。物事を楽観的に考えられる材料が殆どない状況になっています。

「正しく怖れる」の継続

私は、「正しく怖れる」をモットーに、今やれる活動を続けていきます。といっても、会社員を辞めてモラトリアム状態なのをいいことにプチ引き籠っての、情報インプットが中心ですが。

日課のWalkingだけは、感染対策に厳禁な三密(密閉空間・密集場所・密接場面)の環境には該当しないだろうとの自主判断から、好天に恵まれている日は、粛々と続けています。夜の外出・外食は泣く泣く我慢しています。その効果なのか、体重と体脂肪率が順調に下がり続け、とうとう自分が30代前半頃の水準まで下がりました。皮肉なことに、この10年くらいで最も体調が良いという状況にあります。

この混乱で私が思っていること

この新型コロナウイルスは、自然界の突然変異によって突如発生したものではなく、人類が関与して産まれたものではないかと疑っています。研究あるいは実験対象のサンプルだったものが、過失(考えたくないですが、故意)によって、流出してしまった(させた)。どこかでは終息すると思うのですが、長期戦は確実だし、その時には今とは別の価値観がやってきそうです。

今回の騒動で再確認したのは、どの国でも『人の命は何よりも尊い』という価値観が強靭で、あからさまに人命を危険に晒すような政策は取れない、という事実です。現在の政治リーダーは、太平洋戦争以前の指導者が考えていたような「公共の利益を維持する為には、ある程度の人的犠牲はしょうがない」という趣旨の発言は、公には絶対に許されません。

そんなの当たり前だろう、と思うかもしれませんが、過去の歴史を紐解けば、パンデミックや動乱にあたって、一部の特権階級が一般人民を見殺しにすることなど茶飯事だったことがわかります。そういう意味では、私は恵まれた時代に生きているなあ、と思っています。

ではどうするの?

直面している現実は何かを変えろというサインに違いありません。無理を重ねて糊塗されていたものが剥がれ、時代に合わなくなったものは容赦なく破壊されていくと考えています。逆境と見える裏には、次の時代の主流に据わる何かのヒントが隠されている筈。それを見つけ出して、形にしていく。本質を見定めて適応していく。心が今の状況を楽しめと言っている。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、この先どんな状況がこようと、したたかに生き抜いていく道を探すぞという決意を固めた方がいいと思っています。

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