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ラジオの思い出

本日のnoteは、「ラジオの思い出」です。

「……ながら」に最適なラジオ

数年前から、私の中ではラジオの魅力の再評価が始まっていました。きっかけは、レンタカーを運転しながら聴くFMラジオでした。思いのほか面白くて、「ラジオっていいなあ」と思う機会が増えていました。

会社を辞めて自由に過ごせる時間が増えたことに加え、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による外出抑制が決定打となり、最近はラジオ好きが強化されています。インターネットアプリのラジコを利用しています。歩く時にはVoicyも使っています。正確には、音声メディアが好きというべきなのでしょうが、あえてラジオ好きと表現しておきます。

ラジオは「……ながら」楽しむのに最適です。これはラジオの持つ重要な機能でしょう。動画は時にインパクトが強過ぎるし、目・耳を同時に刺激されるので疲れるし、自分のリソースをかなり支配されます。ラジオは精神的にリラックスして、考え事をしながらでも聴けるのが魅力です。

因みに、今ではすっかり人気女優になった吉岡里帆さんを知ったのは、クルマ運転中に渋滞に捕まった時のラジオでした。彼女がアシスタントをしていた番組を偶然聞き、声のトーンや話をはじめる時の呼吸や、言葉遣いがなんか心地良くて、「この人いいなあ」と思ったことをよく覚えています。その後の活躍は目覚ましく、次々にドラマや映画に抜擢されて活躍しています。声だけで魅力をアピールできる人はこれから評価が高まる、と思います。

ラジオの思い出① ~小学生

テレビを点けていると私と妹の朝の学校へ行く支度の手が止まるからという理由で、母親が、毎朝BGM代わりにラジオを流していました。当時毎朝聴いていたのは、朝日放送(現ABCラジオ 1008Hz)の『おはようパーソナリティ道上洋三です』。放送開始は1977年3月末。そして、なんとこの番組、今も続いているのです! これには、驚きました。ラジオには長寿番組が多いのも特徴です。声は飽きないのかもしれません。

パーソナリティの道上洋三さん(1943-)は、長く同局の看板アナウンサーを務めました。山口県熊毛郡の出身をしばしばネタにしていました。阪神タイガーズの大ファンで、阪神が勝った翌日の放送では、六甲おろしが度々熱唱されました。

道上さんは、悲惨な事件には感情剥き出しでコメントしたり、怒りを本気で語ったり、子どもには刺激の多い番組でした。番組を聴いていて、知った情報も多いです。私が世界で起こっていることに触れる窓口の一つになっていた気がします。

ラジオの思い出② ~中学生・高校生

中学生になると、ラジオを聴く時間は朝から夜へとシフトしていきます。深夜ラジオが、若者の人気コミュニティとして強力な文化形成力・情報発信力を持っていた時代で、毎晩熱心に聴いている友達も多かったです。

私はそれ程熱狂的なリスナーではなかったものの、たまに聴いていたのは、『MBSヤングタウン』(通称 ヤンタン)『ABCヤングリクエスト』(通称 ヤンリク)です。どちらも関西ではかなり有名な番組です。深夜のヤンリクで、ハウンドドッグ『涙のBirthday』を聴いて、涙したのは懐かしい思い出です。あの時、なんであんなに泣けたのかな……

中学2年生頃からは洋楽に夢中になったので、私の関心は音質の良いFMラジオへとシフトしていきました。当時は狙った曲が流れるのをラジオで待ち構えて、カセットテープに録音する「エアチェック」が流行でした。インターネットから幾らでもダウンロードし放題の現代では、あの頃の苦労は想像できないかもしれません。

1980年代には、ラジオ番組内でオンエアされる楽曲を記した番組表と旬のアーティストの記事を掲載するFM雑誌が何誌も発刊されていました。私は、最初「FMレコパル」派(アーティスト紹介のマンガが人気!)で、後に「FM Station」へと鞍替えしました。

当時は、民放FM局もそれほど数がなく、地元で唯一聴けたのがNHK-FMだけでした。民放のFM大阪は電波状態が悪く、エアチェックしたい番組を指を加えて見送る悔しい日々でした。

NHK-FMにも魅力的な番組が多数ありました。

●『クロスオーバーイレブン』
もうすぐ、時計の針は12時を回ろうとしています。今日と明日が出会う時、クロスオーバーイレブン…… のエンディングが有名。
●『サウンド・オブ・ポップス』
特集アーティストの発売されたばかりの新作から、数曲をフルコーラスで流してくれていました。エアチェックの本命番組でした。
●『軽音楽をあなたに』
夕方の放送だったので、部活がある普段は聴けません。たまに部活休みの日は、エアチェック準備をして、ワクワクしながら聴いていました。
●『トアロードであいましょう』
土曜日の15:00~18:00に放送されていたNHK-FM神戸のローカル番組。リクエストにも応えてくれるのと、特集アーティストがあり、部活が休みの時に聴いていました。 

中学時代は、クリスマスプレゼントに買ってもらった、東芝製のオートリバース機能付きのラジカセが宝物でした。高校卒業/大学合格のお祝いに晴れてミニコンポに昇格しました。わくわくしながら、自室にFM放送を聴く為のアースを壁に這わせる作業をしたことを懐かしく思い出します。

ラジオの思い出③ ~大学生

大学3年生からの2年間は、神戸で下宿生活を送りました。ラジオは、私の下宿生活を語る際の欠かせない小道具です。

下宿して嬉しかったことの一つが、FM大阪を好きなだけ聴けることでした。引っ越し作業を終え、コンポのチューナーを85.1MHzにセットした時に飛び込んできたクリアな音質に感動しました。1989年6月にはFM802が開設され、日々の生活が更に潤いました。

この時期の忘れられない番組に、ゴンチチのチチ松村さんがパーソナリティを務めていた『イエスタデイズ』があります。毎朝、懐かしの洋楽から最新ヒットまで、松村さんの解説付きで楽しめる番組です。この番組で知った名曲やアーティスト、音楽にまつわるエピソードは多数です。

9:00~10:00の放送だったので、朝の目覚まし代わりにもしていました。番組を聴き終えてから、原チャリに跨り、10:30から始まる練習に通うというのが当時の日課になっていました。

お気に入りの曲が流れると、気分が上がり一日が調子よく過ごせました。調べてみると放送されていたのは、1989年4月~1990年3月で、私が神戸で暮らした期間とまるかぶりでした。まさに私の青春の番組だったようです。

ラジオの思い出④ ~アメリカ駐在時代

会社に入るとラジオを聴く習慣はほぼなくなり、ドライブ時にFM番組を聴く程度に減りました。首都圏はラジオ局が多いなあとは思っていました。

ラジオと再び関わる機会が増えたのは、アメリカ駐在時代(2001年6月~2005年6月)です。アメリカはラジオ王国で、膨大な数の放送局がありました。自動車での移動が基本なので、ラジオとの相性がいいのだと思います。

あらゆるジャンルに特化した放送局があります。音楽専門局も枝分かれしていて、私の好きな80年代のヒット曲をひたすら流す『Soft Rock』という局は、長距離ドライブの時に重宝しました。

一番聴いたのは、デトロイトローカルの『WWJ NewsRadio 950』です。天気予報、交通渋滞情報、ローカルニュース、ワールドニュース、音楽を幅広く聴けて、英語のリスニング力の勉強にも最適でした。自宅でも一時期流しっ放しにしていました。

2005年4月に起こったJR宝塚線の電車脱線事故は、ラジオで知りました。クルマの中で聴いていると、知っている地名が次々と出てきて驚き、オフィスに着いて慌ててネットニュースを確認したのを覚えています。

まとめ

私は節目節目でラジオにとても縁があったのだなあ、と思います。

自然災害発生時、情報と声援を届け続けるラジオに救われたという話も聞きます。文字や画像は刺激が大きくて、受け取り続けると疲弊することも多いです。声で励まされ、癒されるのは悪くない選択だと思うのです。



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