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次世代に残したいプリテンダーズ

本日は私が好きなバンド、プリテンダーズ(The Pretenders)を存分に語りたいと思います。

プリテンダーズとは?

プリテンダーズは、私が”最も格好いい女性ロッカー”と敬愛する、アメリカ人のクリッシー・ハインド(Chrissie Hynde, Vo/G 1951/9/7- )を中心に1978年にロンドンで結成されたロックバンドです。

ハインド以外のオリジナルメンバーは、

ジェイムス・ハニーマン・スコット(James Honeyman-Scott, G/Key)
ピート・ファーンドン(Pete Farndon, B)
マーティン・チェンバース(Martin Chambers, Ds/Per)

です。1979年に発表したデビューアルバム『愛しのキッズ Pretenders』が米英でヒットし、バンドは順調なスタートを切ります。

ところが、このメンバーで活動できたのは、僅か3年弱でした。ドラッグの過剰摂取でプレーに支障を来すようになっていたファーンドンを1982年1月に解雇します(1982年に死亡)。続けざまに、『過小評価されているギタリスト』にも名前が挙がるハニーマン・スコット(個人的に彼のプレーは今も大好き!)がヘロインの過剰摂取が原因の心臓麻痺で急逝し、バンドは存続の危機を迎えます。しかし、リーダーのハインドの強い意志によって、新メンバーを迎え、復活を遂げます。その後何度も存続の危機を経験しますが、その度に不死鳥のごとく甦り、現在も継続し続けています。

プリテンダーズは、基本的にハインドのバンドです。ハインドが健在である限り、バンドとしての活動は続くと考えておいてよいでしょう。ハインドは、あのマドンナが唯一憧れた女性アーティストだと言われます。2005年にはプリテンダーズとして、ロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)にも選出されています。

私のプリテンダーズ体験

私とプリテンダーズとの出会いは、1984年発売の3枚目のスタジオ録音アルバム『ラーニング・トゥー・クロール Learning to Crawl』です。

このアルバムは、上述のオリジナルメンバー二人の相次ぐ死を乗り越えて、制作されたものです。当時の洋楽ミュージックシーンにどっぷり嵌まり、知識の習得/吸収に貪欲だった頃の私を、強く強く刺激した作品です。このアルバムをプリテンダーズ史上の最高傑作と評する人もいて、私も同意します。

当時は高校生だったので、レコードを購入する金銭的な余裕がありませんでした。貸しレコード屋でレンタルしてきてダビングしたマクセルのハイクロームテープを、毎晩のように擦り切れる程聴き込みました。私の青春を彩った忘れられない作品の一つです。

収録曲は名曲揃いで、アルバム発表前に先行発売されてシングルヒット済だった『チェイン・ギャング Back on the Chain Gang』『2000マイル 2000 Miles』の他、シングルカットされた『情熱のロックンロード Middle of the Road』(ダサい邦題だと思う)、『シン・ライン Thin Line Between Love and Hate』(キンクスのカバー曲。泣ける)『ショー・ミー Show Me』(この曲大好き!)が次々とヒットしました。ハインドが故郷のオハイオ州アクロンへの想いを歌詞にした『My City Was Gone』も味わい深い楽曲です。

プリテンダーズ熱の再燃

Stay Home期間中、プリテンダーズの楽曲の素晴らしさに何度も癒され、ガッツ溢れるハインドの声に力を貰ってきました。

『ラーニング・トウ・クロール』収録曲以外で好きなのは、主に初期の楽曲で、『恋のプラス・イン・ポケット Brass in Pocket』『愛しのキッズ kids』『トーク・オブ・ザ・タウン Talk of the Town』『ドント・ゲット・ミー・ロング Don't Get Me Wrong』 あたりです。

ハインドは私生活では結婚・離婚を繰り返していますが、元夫は、キンクスのレイ・デイヴィスや、シンプル・マインズのジム・カーなど一流のミュージシャンばかりです。自由奔放なキャリア、物議を醸す発言も多い割には、悪い噂が少ないアーティストでもあります。知性と愛を感じます。いつまでもパワフルでカッコいい彼女が来年70歳というのは信じられません。


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