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名曲が生まれたエピソード:大きな玉ねぎの下で

抒情的な歌詞に感情を揺さぶられた大好きなバラードに、爆風スランプ『大きな玉ねぎの下で』があります。本日はその創作エピソードを知って、ふとよみがえってきた気持ちを残します。


爆風スランプの名曲

『大きな玉ねぎの下で』は、1985年に発売された爆風スランプのセカンドアルバム『しあわせ』に収録されている楽曲ですが、有名になったのは、1989年10月に15枚目のシングル『大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い』としてリメイクされて以降でしょう。

1980年代は、日本の音楽シーンにも個性の際立ったバンドが数多くデビューした時代でした。爆風スランプもその一つで、コミカルな楽曲と、スキンヘッド+サングラスという強烈なビジュアルでパワフルに歌い上げる、ボーカルのサンプラザ中野(当時の芸名)の個性が際立っていました。同じソニー系列のレコード会社所属だった聖飢魔II、米米CLUBと「ソニー三大色物バンド」と呼ばれた時期もありました。

爆風スランプが残した名曲には、他にも応援ソングの定番として知られる『Runner』(1986)もあります。こちらも後世まで語り継がれる名曲だろうと思います。爆風スランプは、いつまでも口ずさんでもらえる名曲 ~中野くん。は、そういう曲を”エヴァーグリーン”と言っていますが~ を生み出してきた偉大なバンドとして語り継がれていくことでしょう。

意外なエピソード

この曲が書かれた背景は、熱心なファンの方にとっては、よく知られたものなのかも知れませんが、私が知ったのは、クルマを運転中にFM長野の『SUBARU Wonderful Journey~土曜日のエウレカ』(パーソナリティは麒麟・川島明)にゲスト出演していた、サンプラザ中野くん。自らが語る話を聴いてでした。

デビュー2年目にして、憧れの日本武道館公演が決まり、「知名度のない俺たちが、武道館を満員にするなんて絶対無理」というプレッシャーに苛まれる日々を送る中で、会場が満員にならないストーリーを詰め込んだ言い訳ソングを作ろうと思いついたのがきっかけだそうです。

最終的に曲のコンセプトは、「ペンフレンドの女の子に武道館のコンサートのチケットを送ったが、相手が現れなかった寂しさと切なさ」に落ち着いたものの、最初はお笑いのストーリーにすることを考えていたという話は、かなり意外でした。ペンフレンドを持ち出したのには、「この時代にまだ文通なんてやってるの?」というダサさ、時代遅れ感を印象付ける意味があったそうなのです。

大好きだった曲

この曲の歌詞には、主人公の少年に自分をまるっきり投影させてしまう不思議な魅力があります。歌詞を追いながら、くっきりと映像が脳裏に浮かんできて、感情が溢れてきます。武道館の屋根の上に載っている擬宝珠を、「玉ねぎ」と形容したセンスにも脱帽します。

神戸で過ごした学生時代、この曲は、私も含め多くの友人がカラオケで歌う定番ソングでした。当時はまだ憧れの地であった東京を思い描きながら、この切ない歌詞の世界にどっぷり浸るながら熱唱したことは、一度や二度ではありません。

就職して東京に出てきた後、日本武道館のコンサートを観に行った際、歌詞の世界を追体験し、改めてこの歌詞の風景が重なりました。

九段下の 駅をおりて 坂道を 人の流れ 追い越してゆけば
黄昏時 雲は赤く 焼け落ちて 屋根の上に光るたまねぎ

千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば 済んだ空に光るたまねぎ 

ああ、あの歌詞の情景はこれのことだったんだなあ…… と納得しました。

私と同世代の方なら、少年がどれだけ勇気を振り絞ってペンフレンドの女の子をコンサートに誘い、どんな気持ちでコンサートの当日を迎え、いつまで待っても来ない相手を思ってどのような気持ちを抱いたか…… 簡単に想像の翼を広げられる筈です。

今なら、行けない理由を伝える手段なんて幾らでもあります。直筆の書簡を送り合う文通は、メールやチャットでの瞬時のやり取りに代替されました。ネット予約したコンサートチケットを、わざわざ相手の住所に郵送することもないでしょう。過ぎ去ってしまった時代の記憶を呼び起こさせてくれる大切な一曲でもあります。

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