見出し画像

箱根駅伝の四区を語る

私はこの道39年の駅伝好きで、noteでも『Markover 50の中長距離・マラソン・駅伝コラム』というマガジンを作っています。しばらくネタ投稿が途絶えていましたが、本日は『箱根駅伝の四区を語る』というテーマで、魅力と思い出を語ってみます。

準エースが走る重要区間

東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」は、おそらく日本で一番有名で人気のある駅伝レースです。近年では、大会を主催する日本テレビの地道な制作努力、宣伝効果によって、陸上ファン以外にも届くようになり、正月のキラーコンテンツになっています。

各区間が20㎞を超える箱根駅伝の人気区間には、レース序盤のポイントで各校のエースが集う「花の二区」、箱根山中の急勾配を駆け上がる「山上りの五区」がまずあがります。

それは理解しつつも、私は昔から四区に心惹かれてきました。四区には、エースに次ぐ準エース級の選手を起用するチームも多く、優勝を狙うチームにとって、この区間での好走が優勝への必須条件となる往路の要所です。

平塚中継所から国道1号線をひた走り、小田原市街地を抜けた先にある小田原中継所までの20.9㎞のコースは、見た目以上にアップダウンがあってペースが掴み辛く、海や箱根山中から吹き下ろす向かい風の影響も受けます。前半快調なペースを刻んだ選手が、後半急激にペースダウンするシーンも度々目にします。箱根駅伝の四区は、力がないと走り切れない難コースです。

先日、二宮へ出かける所用があり、四区と七区のコース中盤にあたる国道1号線の二宮~大磯間を自分の足で歩いてきました。箱根駅伝ファンとしては、感慨深いものがありました。

四区を快走した名ランナー達の思い出

箱根駅伝の歴史の中で、四年連続で区間賞を獲得している選手は過去に8人いますが、私の記憶にある内では、中島修三選手(順天堂大学 第57-59回)、武井隆次選手(早稲田大学 第70回)、榎木和貴選手(中央大学 第72-73回)が四区の区間賞経験者です。

四区のランナーで私が取り上げたいのは、以下の三人のランナーです。

藤田敦史選手(75回)

最も思い出深いのは、1999年の第75回大会での藤田敦史選手(駒澤大学)の激走です。最終学年を迎えた藤田選手は、同学年のライバル、三代直樹選手(順天堂大学)と学生長距離界No.1ランナーの座を賭けた二区での直接対決が期待されていました。が、藤田選手は、大会直前の体調不良で二区出走を回避し、四区にまわることとなりました。

三代選手が二区で不滅の大記録と思われた渡辺康幸選手(早稲田大学)の区間記録を更新すると、藤田選手はその走りに感化されたかのように圧巻の走りを披露します。首位と2分19秒差の2位で襷を受けると鬼神の走りで追い上げ、先行する順天堂大学を15㎞過ぎで抜き去り、差を広げて中継。区間2位に2分34秒差をつける断トツの走りで、1時間0分56秒という驚異的な大記録を作りました。

相澤晃選手(95回)

「今後破られることはないだろう」と思われていた藤田選手の大記録を更新したのが、2019年の95回大会、当時三年生の相澤晃選手(東洋大学)でした。長身を利した軽快なフォームで、レース序盤に首位の青山学院大学を抜き去ると、後はひとり旅。最後まで淡々とハイペースを刻んで押し切り、1時間0分54秒の区間新記録を樹立しました。

以降の相澤選手は学生駅伝で無敵の強さを誇り、最終学年となった2019-2020駅伝シーズンでは、出雲(三区)、全日本(三区)、箱根(二区)、を全て区間記録を更新する圧倒的なパフォーマンスを見せました。特に箱根2区でマークした、1時間5分57秒は驚異的な記録でした。

吉田祐也選手(96回)

箱根五連覇、駅伝三冠を狙った95回大会の青山学院大学は、初出場の岩見秀哉選手のこの区間でのブレーキが優勝を逃す一因となりました。

青山学院大学のその苦い記憶を、翌96回大会(2020年)で払拭したのが、四年生で箱根初出場となった小柄な吉田祐也選手でした。前年に相澤選手が樹立した区間記録を上回る1時間0分30秒の区間新記録の快走を演じて首位を奪取し、後続のライバルチームに衝撃を与えました。

吉田選手は、大学卒業を機に競技生活からの引退を決めていました。ところが、この箱根の快走に続き、学生生活最後のレースと位置付けて挑んだ1ヶ月後の別大マラソンでも2時間8分台の快記録をマークし、一躍競技関係者から脚光を浴びることになりました。この二つの快挙によって吉田選手は競技引退の撤回を決断し、今はGMOアスリーツで現役を続行しています。文字通り人生を変えた爆走でした。

区間距離短縮、『山の神』誕生の裏で…

四区の区間距離は、2006年(第82回)から2016年(第92回)までの11年間、五区の山上り区間の延長(20.8㎞→23.4㎞)に伴って、18.5㎞に短縮されていました。区間距離変更の目的は、世界に通用するマラソン選手の育成(五区)、スピードランナーの育成(四区)というものでした。

この区間距離変更は、チーム戦略や戦績にも大きな影響を与えました。差のつきやすい山上りに強い大砲のいるチームが俄然有利になったのです。五区の距離が延びたことで、山の重要性と注目度が増し、今井正人選手(順天堂大学)、柏原竜二選手(東洋大学)、神野大地選手(青山学院大学)という『山の神』と呼ばれたスター選手が誕生した、と言えなくもありません。

逆に、距離が短縮された四区はレース戦略上の重要度が下がり、スタミナに不安のある選手や経験の乏しい新人選手が起用される繋ぎ区間的な位置づけになっていきました。帝京大学が敢えてエース級を投入して、混戦を抜け出して順位を上げる作戦を取っていたくらいでしょうか。『スピード豊かな中距離走者の育成』は、アップダウン、気象条件と克服すべき課題が多い難コースの四区には不向きな使命だったと私は思います。

箱根駅伝の四区・五区の距離は、2017年の第93回大会から従来の形へ再変更となりました。変更の理由として関東学生陸上競技連盟では、

● 山登りの第五区の選手に対する生理学的負担が大きく、走行後半には低体温症や低血糖の症状に陥る例が多数発生している
● 総合成績に対する第五区の貢献度が大きすぎる
● 第82回大会以降第四区の距離を短くしたことで マラソンに順応できる選手の芽を摘み取っている懸念がある

などを考慮した結果によるとしています。五区走者の体調不良による途中棄権やブレーキが頻発していましたので、これは妥当な措置と思います。

距離が元に戻った後の四区の重要性は、ここ数年で再び高まってきており、四区ファンとしては嬉しい限りです。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。