身を置く環境を変える
同じ環境に留まり続けるデメリット
どんなに自分にとって居心地がよく、満足のできる状況にあったとしても、あまりにも長く同じ環境に滞留していると、柔軟な発想が失われ、硬直した考えに陥ります。世の中の変化は目覚ましいので、そんな生活を続けているといつしか『終わった人』『過去の人』『厄介な人』になってしまいます。
なので、身を置く環境を変える「潮時」のことはかなり意識しています。
マンネリは人生にも悪影響
私はマンネリが大嫌いです。同じことを繰り返すだけの変化のない人生には「No!」を突き付けたいと思っています。自分の身を置く環境を定期的に変化させていかないと、刺激がなくなって、パフォーマンスが落ちます。
常に「ここではないどこか」を追い求めていたいのです。気に入ったお店でまったりと長時間過ごすよりも、次から次へと飲む場所を変えるバーホッパーの飲み方を選んでしまうのも、私のこの気質が影響しているのでしょう。
環境を変える決意
最近環境を変えることばかり考えてしまうのは、現状に満足していないから、この先により良い未来がないからだとわかっています。あまりネガティブなことを口にするのはよくないのですが、今の私を取り巻く環境は芳しくありません。
ここ数年、何度も自問自答してきました。このまま今の環境に安住しているのは楽ですし、確実性の高い人生にはなると思います。しかし、間違いなく自分の人生がつまらない方向に進んでいくだろうと確信しています。他力での改善はもはや期待できません。
かなり大きな決断にはなりますが、思い切って身を置く環境を変えてみます。過ぎ去った昭和や平成の常識は潔く捨てて、新しく迎えた令和の時代を私の本能を信じて生き抜いてみます。
マンネリは嫌いですが、自分のことを飽きっぽい性格だとは思っていません。一つのことを突き詰めて、コツコツ続けることは嫌いではありません。目的やメリットが明確ではない努力だって、それが楽しいと感じられればさして苦にはなりません。
興味のあることを、広く、深く掘りたいのです。毎日「好き」なことに没頭出来ている時間ができるだけ多くなるのが理想であり、それが実現出来れば最高に幸せです。それに加えて、自分のやっていることがささやかでも他人の役に立ち、周囲からも認められて、応援されると更に幸せを感じます。
川崎市の不幸な事件から
昨日起こった川崎市の凄惨な事件にはかなりの衝撃を受けました。まだ引きづっています。犯人の男に関する報道もぽつぽつ流れていますが、私と同世代の人間の犯行に心を痛めます。周囲の人達とも関係が断絶し、自分の世界に閉じ籠っていたことで、狂気の感情が降りてきてしまったのでしょうか…
私だって身を置く環境が悪ければ、ダークサイドに堕ちてしまう可能性はゼロではありません。自分の努力で変えられる環境ならば、勇気を振り絞って、より良い環境を整えることに貪欲になるべきです。第一歩は小さくてもよいから、とにかく踏み出せばいいのです。
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