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新宿の思い出

横浜に帰った三泊四日の旅も、時間は瞬く間に過ぎ去り、今日で最終日です。午前中は懸案だった所用を済ませ、自宅で昼食とおやつを食べ、家族に別れを告げて、高速バスに乗る為に新宿バスターミナル(通称バスタ)にやってきました。本日は、最近では通り過ぎるばかりで、すっかり縁遠い町になってしまった新宿の思い出を書いてみます。

夜の繁華街として最強

首都高速や中央高速道路で渋滞にはまらなければ、新宿から松本までは、約3時間の道のりです。バスの出発時間まで30分ほど時間があったので、待合室のシートに腰掛けて遠くに街のネオンを眺めながら、新宿との思い出を思い返していました。

大学を卒業して22歳で関西から上京してきた私は、埼玉県草加市にあった会社の独身寮に住んでいました。東京丸ノ内(地名は丸ノ内だか、実際には八重洲口側)にあったオフィスへは、地下鉄日比谷線と東西線(あるいは銀座線)を使って通っていたので、普通に生活している分には、新宿は縁のない町でした。

新宿へと繰り出すのは、専ら夜の飲み会の時だけ。仕事を終えた金曜日か週末の土曜日に、仲間から誘われて出掛けるくらいの浅い付き合いの街でした。関東の大学卒の同期入社組には、学生時代から新宿でよく飲んでいたという人間が多かったので、色々と店を教えてもらいました。

仕事終わりに銀座線・日本橋駅から、いつもとは反対方向の電車に乗るのはなかなかワクワクする経験でした。新宿へは、JR東京駅から中央線快速で移動するのが最速ルートなのですが、待ち合わせ時間に余裕がある時は、日本橋駅から銀座線に乗り、地下鉄・赤坂見附駅で丸ノ内線に乗り換えて、新宿三丁目で降りるルートを好んで使っていました。

新宿の繁華街は最強だと今も思っています。銀座でも、渋谷でも、六本木でも、池袋でもなく、東京で最もワイルドで猥雑感を漂わせた街だと思っています。今は随分クリーンになったようですが、当時20代の私には相当に刺激が強く、様々なバックグラウンドを抱えた人々が入り混じった不穏な空気がプンプンしていて、少し気後れしてしまう街でもありました。

思い出は新宿ゴールデン街

その頃、友人に教えてもらい、あらゆるシチュエーションに対応出来る店が、新宿ゴールデン街の中にありました。確認はしていませんが、知る人ぞ知るかなりの繁盛店だったので、ひょっとすると今も現存しているかもしれません。

気の置けない友人との飲み会、デート、地方から上京してきた旧友とのサシ飲み、大人数でのコンパなど、困った時の切り札としてよく使いました。店は、花園神社前の石畳を奥に入って、しばらく行った古い二階建て建物の二階にあり、細く急な階段が目印でした。

店で調子に乗って飲み過ぎたり、雨の時には階段から滑り落ちるのを気をつける必要がありました。通算しても10回は行っていないと思いますが、新宿で鮮明に覚えている場所の一つです。

環境が変わって

気軽に夜の街に飲みに行けなくなって三年目になろうとしています。私の境遇も、生活する圏内も大きく変化したので、新宿は益々縁遠い場所になりました。元々街の雰囲気はそんなに好きでもないので、特別の用がなければ足を運ぶ機会がない場所になりました。

この先、私が東京で仕事をすることはおそらくないでしょうし、このまま新しい記憶で上書きされることもないと思います。20代の多感な頃に見た光景が、私の中の新宿の記憶としてずっと残り続けることになるでしょう。

今では仲間とつるんで飲むのが好きではなくなったので、これから先、ひとりで新宿に出向いて酒を飲むことも多分ないでしょう。これまでもただ通り過ぎることが多い街だと思っていましたが、今回思い返してみて、意外と縁があったのだなあ、と驚きました。

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