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「結果が全て」はしんどい現実

結果至上主義

「結果が全て」という考え方は、自分自身を甘やかさない為に必要な価値観だと思います。狙った成果を実現する為に、逆算して努力の方向性を決めて、努力量を積み上げていく姿勢は必要なものです。成し遂げたい目的に対して、結果に拘る努力は怠ってはいけないし、その緊張感と辛さから逃げてはいけないと思っています。

出した結果、辿って来た経験で自分が評価されることが殆どです。「結果が全て」という価値観に息苦しさを感じることが少なくありません。誰もを黙らせるくらいの圧倒的な結果を出してきたのであれば別ですが、大抵は平凡で誇れるような結果しか残せません。結果を出す為にもがいた経験は無視されるので、本当に悔しい限りです。

結果至上主義者に二度傷つけられる

世の中には「結果を出していない人間がやってきた努力は一切認めmない」というスーパーストロングスタイルの人がいます。結果を出していないような凡人の存在自体を一切認めないし、関わらないと決めている人です。表立って口にはしないものの内心そう考えている社会的強者は少なくないように思います。当たり障りのない殊勝なことばの裏に、「その他大勢の庶民」「自分を輝かせるために存在している客」という目線で見ていることが透けて見える人です。

それくらいの姿勢でないと厳しい社会で抜きん出ることができないので、そういう価値観で生きる人を批判も否定もできません。自分がそういう扱いを受けた場合は、悔しさをぐっと押し殺して、そっと距離を置いておくしかないのです。

「結果が全て」は受け容れるしかないけれど

自分の狙う結果が出ない日々をどう強く生きるか、辛抱するか、は自分自身考え続けている課題でもあります

私は、結果至上主義的な発想を全肯定できません。自分のお眼鏡に叶わないような雑魚は一切相手にしない、というのは、人として不寛容な態度だと思います。私は、一握りの結果を出した成功者”だけ”が称賛されるのではなく、自分の持ち場で懸命に生きている人が輝き、ムリ・ムダ・ムラが許容される社会であって欲しい、と願う者です。

仮に何かに挑戦して狙った成果が出なかった場合でも、そこでやってきた努力や経験は無駄にはなりません。現実を受け止め、うまくいかなかった原因を突き詰めて、対策を考えて修正し、次に繋げればいい。挑戦すること、失敗することにこそ意味がある、は一理あると思っています。

結果の出ない状態が繰り返されると確実に心が弱ります。似たような挑戦をして、他人が結果を出しているのに、自分が結果を出せていない場合の凹み方はさらに大きくなります。最初は好意的だった人の目も冷やかになっていくように感じられ、自分の不甲斐なさで卑屈な気持ちになって心が折れそうになります。

結果が出ない人を、過度な結果史上主義、レッテル貼りで二倍傷つけないような寛容な場に身を置きたいものだと今は思います。



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