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金曜日の随筆:約10年前の考察記事を読んでの感想

また運命を動かしていく金曜日が巡って来ました。2024のWK28、水無月の肆です。今日は、日中に激しい雨が降りました。仕事を終えて帰宅してからは、部屋でゆったりと過ごしました。陽気が良くなってからは、独りの気楽さと週末まで辿り着いた解放感から、仕事終わりに街へ出掛けることが増えていましたが、こういう落ち着いた金曜日も悪くないなと感じます。

本日は、2014年12月末~2015年1月中旬までの3週に亘って東洋経済に掲載された、平川克美氏と小田嶋隆氏の誌上対談を読んでの感想文を残します。凡そ10年前の内容ですが、面白かったので。

10年後に出会ったから刺さる内容

1956年生まれの小田嶋氏は、私より丁度1回り上、1950年生まれの平川氏は、1.5回り上の人です。私がこの世代の人たちとがっつり接する機会は、大学を卒業して会社に入ってからです。上司-部下の関係に相当することもあって、感情的に遠い距離感にあった世代です。

この対談記事を発表当時に知って読んでいても、内容があまり刺さらなかったような気がします。この対談は、平川氏が著書である『復路の哲学--されど、語るに足る人生』(夜間飛行2014)を発表するタイミングで行われており、先日松本市図書館へ行って、本書を借りてきて読了しました。大変面白かったのですが、当時に本書の存在を知っていても、食指は動かなかったように思います。56歳になった今だから、大いに心を動かされた気がしており、まさに出会うべくして出会った記事と書籍だったと思います。

二人は過去に共著も一緒に手掛けており、よく知った間柄のようなので、テーマが次々と自然に生まれ、滑らかに話が展開していきます。

二人の10年前の心配事をそのまま辿る日本

私は昨日、自分の予想がさっぱりあたらないというnoteの記事を書きましたが、約10年前に、実業家・執筆家の平川克美氏(1950/7/19-)とコラムニストの小田嶋隆氏(1956/11/12-2022/6/25)との間で行われたこの対談を読むと、二人の先を見通す眼力は凄いものがあるなあ、と素直に感嘆します。

前半は、「大人の不在」がテーマです。ちょっと読んでも、共感する部分が多々ありました。(▶以下は私の所感)

● 政治家が子供っぽくなり、尊敬されていないし、「偉い人」として振る舞おうともしていない(▶ 尊敬されていないのだから、尊敬される振る舞いなんてしなくてもいいと考えている、とも言える)
● 社会から「大人なるもの」「社会が安定的に営まれるためには大人が必要だ」という意識が失われつつある(▶ 更に10年の時を経て、完全に失われた感がある)
● 一晩寝かすエイジングがなければ、いくら学んでも、スキルを上げても、大人になれない(▶むしろ、今はアンチ・エイジングが持て囃される時代になってしまった)
● 小津安二郎の映画を高校生が観ても理解できない(▶私が遅まきながら、小津映画の素晴らしさに気付けたのは、会社員を辞めてから)
● 子どもの頃見た、自分や友人の親たちの顔が、今の同世代と比べてずっと大人びていた(▶今はオッさんが、ガキっぽくなっている)
● 「大人がいなくなる」というのは、世の中に「ガキ」と「ジジイ」しかいなくなる(▶「大人」を拒否する感覚は今の方が強くなっている)
● 建前抜きの競争社会になればなるほど、大人よりも子どものほうが強くなる。競争社会が進んだことと「大人がいなくなった」こととはリンクしている(▶この頃の論破王は、橋下徹氏で、今はひろゆき氏 論破の手法は違うが、同じような空寒しさは感じる)
● 正義面に胡散臭さを感じる。「きれいな顔」をしたものが歯止めなく社会に広がると、非常に厄介な問題を引き起こす(▶同感)
● 責任を取れる大人がいないと、正義は横行する(▶正義の横行、言葉狩りは今の方が遥かに酷い状態になっている)

記事から抜粋

とはいえ、違和感も……

とはいえ、二人が発露している価値観に対して、全くの違和感を抱かなかった訳ではありません。

彼らは否定するでしょうが、無意識に、男性優位な社会であること、世界の中でまだ日本が優位を保っていること、をスタンダードとして発想し、議論している感が各所に漂っています。お二人は、戦争の悲惨さを実体験はしておらず、経済復興が進み、問題は多々あれど基本的に右肩上がりの社会の中で育ってきた世代です。そこまで切羽詰まってはいない、心底絶望するまでには至っていない、復活のチャンスは十分にある、という雰囲気が感じられます。「社会に責任を取る大人がいなくなった」という重要な主張にしても、(お二人は責任を果たす覚悟はあると思うけど……)命懸けで訴えているような切迫感はありません。

2010年代は、まだ今ほど日本は危険な状態ではなく、むしろバブル崩壊後の低迷の悪夢から、ようやく光明が見え始めたか…… と微かな希望を持てていた時期だった気がします。問題は山積であったとしても、国際社会の中で日本はまだまだ枢要な地位を占めていて、リスペクトを受けていることを当然と考える空気が漂っています。小田嶋氏が、「友人なんていなくてもいい」と言い切れてしまう背景にも、そんな余裕、豊かな日本社会の存在が影響していたような気もしました。

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