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『Shrink to grow戦略』を考える

本日は、『Shrink to grow(シュリンク・トゥ・グロウ)戦略』という、ビジネスに寄せたテーマを扱ってみます。ビジネスモデル理論や戦略論に精通している訳ではないので、的外れな論稿になっているかもしれません。自分の考えを、特に検証作業せずに、自由に書き散らかした内容となります。

もはや古臭い理論なのか?

『Shrink to grow(=成長のための縮小)』は、日本企業がバブル経済崩壊のショックからなかなか浮上する機会を見出せないまま、長期の業績不振と成長鈍化に悩み、国際市場での厳しい競争に晒されはじめた1990年代から2000年代前半にかけて、多くの企業が取り組んでいた戦略です。

「既存事業や組織を合理化し、成長できる筋肉質な体制に生まれ変わる」
「コア事業とのシナジー効果が薄く低収益構造に陥っている事業を整理し、コア事業に経営資源を集中して強化を図る」

というのが要諦ですが、今思うと、当時一世を風靡した『リストラクチャリング(事業再構築)』や『選択と集中』とどう違うのか?、という気がしないでもありません。

こういった施策には、当時まだ希少価値があったMBA的手法に手練れた経営コンサルタントが、業績不振企業に対して押し付けてくる従業員に非情な打ち手、というイメージがありました。V字の業績回復を果たした東芝で、当時の岡村正社長が積極的に推進した「シュリンク・トゥ・グロウ」戦略が成功事例として扱われていました。時は流れるものです。当時リストラの対象となった東芝の社員は20年後の今の惨状をどのような思いで見ているのでしょうか。

”単なる事業規模の拡大を追い求めるのは、「膨張」であって、「成長」ではない”という趣旨の説明もありました。個人的には、成長=Growthは本来量的拡大を意味することばだし、脱成長に共感する現在の私には、「成長」ということばを美化し過ぎだったのではないか、という違和感を感じます。悲しいかな、世の中から求められていない成長(膨張)ほど厄介なものはありません。

最近では、『Shrink to grow戦略』的な打ち手は、どの企業でも実行されているので、もはや注目される打ち手でもなくなっているのでしょう。

人生設計への応用

私の人生は今、「シュリンク・トゥ・グロウ」の時期に来ています。正確に言うと、「成長するために……」という目的は、さほど意識していません。あらゆるものをシュリンク(減衰)させていくことを肯定的に受け止め、迫って来る人生のフィナーレに向けて、粛々と備えていこうと考えています。そう、未来への”備え”、心構えが大切、なのです。

この経済理論自体は、後段のグロウの方により重心がある訳ですが、私自身は成長至上主義的な生き方は望んでいません。人口減少に歯止めのかからない日本で、50歳を過ぎた私が、成長至上主義的な人生戦略を掲げて生き抜こうとする振る舞いなんて求められていないと思っています。期待されていない「膨張」は迷惑であり、周囲の誰からも歓迎されません。

家族を第一に考えて上手に枯れていくこと、大事なものとそうでないものを自分の価値観に照らし合わせて、大胆に取捨選択すること、衰えを好意的に捉え、逆手に取って強みに変えていくこと、を目指そうと思うのです。謙虚に、狡猾に、したたかに、真摯に、この落日が著しい日本でしぶとく生き抜いていこうと思っています。それには、活動と関心の規模を控え目にし、自分の力以上に戦線を拡大しないように気をつけないといけません。

時代の変化を採り入れて

流行りのビジネス理論や風潮は、刻々と変化します。現代ならば(私自身は胡散臭さを感じるものの)ESGやSDG'sに配慮しないような企業は、徐々に淘汰されていくでしょう。また、従業員の感情に寄り添わず、置き換えが可能な労働力としかみないような企業は、悪評が立って人が去っていくことでしょう。数字偏重、成長至上主義からの脱却は歓迎すべき変化です。

地球環境保護や温室効果ガスの抑制が叫ばれる中、成長を掲げて従来のようなガンバリズムを発揮するのは、却って害を及ぼすような気がしています。今後は、温室効果ガスを大量に排出する鉄鋼製品やセメントの生産、工業主義的に動物を飼育・屠殺し、エネルギー消費や環境へのマイナス影響も大きい酪農や畜産といった産業には、辛い時代がやってきそうです。批判に晒される産業界には、遅かれ早かれクリーンで環境に優しい生産手段が生まれるでしょう。破壊的な技術革新(イノベーション)は、そのような目的で生まれてこそ価値があると思います。

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