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『Fukushima 50』を観る

本日は、映画『Fukushima 50』(2020)の鑑賞メモです。

あの場所の記憶

東日本大地震の惨劇には、衝撃を受けました。直接被害を受けていない私ですら、10年経った今でも、あの日起こった出来事の記憶は、完全には癒せない深い傷として体内に残り続けています。 

2011年3月11日14:46に東北地方太平洋沖で発生した巨大地震と、その後に各地を襲ってきた津波被害により、多くの死傷者が出ました。大切な人が犠牲になり、自身も被災者になられた方にとっての思いは、私が抱く痛みの何十倍だろう? と推察します。

あの時、福島第一原子力発電所で起こったことの映画化は驚きでした。原作は門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』。製作はカドカワで、配給は松竹。監督は若松節郎、脚本は前川洋一です。所長の吉田昌郎役を渡辺謙、1・2号機当直長の伊崎利夫役を佐藤浩市が演じている他、有名俳優が多数出演した大作になっています。

現場にフォーカス

本映画は、絶対絶命の危機にあった福島第一原子力発電所の現場で、体を張り続けた人々に焦点を絞った作品です。東日本一円が汚染されるという最悪の事態を防ごうと、発電所内のそれぞれの持ち場で不眠不休で踏ん張り続けた登場人物たちの行動が感動的に描かれています。

本映画で敵役に位置付けられているであろう、政府関係者(総理、大臣、原子力保安院など)や電力会社本店の幹部、報道関係者は全て役職のみの匿名となっています。政治問題へと焦点が拡散してしまうのはよろしくないという制作側の配慮でしょう。

あの日起こった地震・津波は避けられない自然現象だったとしても、”想定外”の巨大な津波被害によって起こってしまった全電源喪失状態(Station Blackout SBO)の危険性は予測し得たのではないか? あれ程の危機を招いた原因は、人災ではないのか? という大きな疑問と議論は、今も残されています。

危機の元凶である電力会社の人間や、救援部隊を送り込んだ米軍を、ヒーロー的に描くことに批判も少なくなかったという意見も聞きます。非常にセンシティブな作品であり、制作するにあたって緊張感があったと思います。

私はエンタメ、人間模様を描く作品なのだと割り切って観ました。

映画の見所

個人的に文句無しに恰好よかったのは、現場のベテラン社員を演じた、火野正平と平田満です。佐藤浩市の後輩作業員を演じた吉岡秀隆も、いい役どころでした。

佐野史郎が演じた、スタンドプレーで現場を混乱させる総理の描き方は、悪意にみちていました。(モデルであることが明白な、菅直人氏は意外にもこの映画を高評価していますが)感情的に割り込んできて、高圧的な態度で現場に無茶を言う場面には、胸糞悪い感情が沸き上がりました。

シン・ゴジラもそうですが、映画の放つメッセージと観た人に残す印象は強烈です。ある程度プロパガンダ的に受け取られるのは仕方ありません。その危うさを割り引いても、あの時、あの場所で起こっていたことを、形にして記録に残しておくことは大きな価値があります。制作に携わった人たちに敬意を表したいです。

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