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あの頃好きだった曲❷… 慟哭

本日は、4月1日エイプリルフールです。沢木耕太郎氏のエッセイによれば、かつてエイプリルフールは、バレンタインデーやクリスマス以上に盛り上がる国民の一大イベントだったようですが、現在の注目度は、おそらくハロウィンにも抜かれているでしょう。

私の本日のnoteのテーマも、エイプリルフールとは全く無関係で、『あの頃好きだった曲』の第二回、『慟哭』です。

30年近く前の歌

『慟哭』は、1993年に工藤静香が歌ってヒットしました。彼女の代表曲と言ってよいでしょう。作詞は中島みゆき、作曲は後藤次利。中島みゆき自身が歌ったバージョンもあります。

今回久しぶりに思い出して調べてみましたが、この曲がヒットしていたのは、もう30年近くも前なのか…… という驚きです。当時の映像には時代感が出てますが、楽曲だけを聴くと、あまり古さを感じません。それは、中島みゆきの曲に共通する特徴です。この曲は、とりわけ中島みゆき節炸裂という感じがしています。

見事な歌詞、曲、世界観

『慟哭(どうこく)』ということばは、この曲で知りました。悲しみに耐えきれずに声を上げて泣くことで、慟哭の「慟」の字は身体を上下に動かして悲しむという意味がある(実用日本語表現辞典から引用)ということです。

作曲していないものの、完全に中島みゆき作品です。歌詞のひとこと、ひとことがきっちり立って聞こえてきます。盛り上がっていって、いきなり

ひと晩じゅう 泣いて 泣いて 泣いて

へと転調する展開が鮮やかで、見事だなあ、と当時思いました。

工藤静香さんのキャラクターから受ける印象は、"慟哭"よりも対義語の"哄笑(こうしょう)"です。彼女の語尾をビブラートさせる歌唱スタイル(中森明菜さんと似たイメージ)が、私は正直好きではないのですが、音階が激しく上下するこの曲では、屈折感や激情感がスリリングに強調されて、成功しているように感じます。

ヒット曲は自分の思い出とリンクする

この曲がヒットしていた1993年前半、私は人生最大のモテ期を迎えていました。先輩や友人に誘われて出席した飲み会や結婚式の二次会で、波長の合う女性に出会う機会が続きました。私自身、社会人生活にすっかり慣れて、珍しく外向的・社交的に振る舞えていた時期でした。

特定のガールフレンドこそいなかったものの、自分からアプローチしたり、アプローチされたり、盛り上がりがありました。毎週末のように、違う女性と食事をしたり、お出掛けをしたり、交友関係に恵まれた時期でした。まだ携帯電話が普及する前でしたので、あの頃直で繋がれる武器があれば、もっと交友は広がったのになあ…… と残念に思います。

バブル景気が過ぎ去ったことは誰もが感じているものの、まだうっすらとその余韻は燻っていて、飲み会の後は、かなりの確率で二次会へと突入していました。二次会の定番はカラオケで、『慟哭』は必ず誰かが歌う曲でした。歌唱の難しい曲なので、うまく歌える女性は素敵に見えました。

1990年代前半、カラオケは最も手頃な娯楽であり、社交の場でしたから、カラオケ向きの楽曲がm今以上に必要とされている時代でした。歴代セールス記録上位の多くが1990年代のヒット曲で占められているのは、時代背景もあったと思います。

ヒット曲・流行歌は、自分の思い出とリンクします。今はどんな曲が流行っているのか知らないし、カラオケにも行きません。音楽に対して、昔のような熱心さでエネルギーを注げません。これから先、私の心に刻まれる楽曲が現れる可能性はかなり低そうです。『慟哭』は、自分が"若者"に分類されていた頃とリンクする貴重な一曲なのです。


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