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健全に「吐く」場としてのnoteの活用

情報化社会と言われて久しく、現代人は情報摂取過剰の時代に生きています。しかも日々の生活の中で目にしたり、取り込んだりしているもののは、よりより人生を送るための有益な情報でも何でもなくて、単なるトークテーマや広告やデマであることが殆どです。目を覆うような誹謗中傷は、それが直接的に自分に影響を与えるものではなくても心をざわつかせます。

100%安心安全で栄養滋養分しかない食物が存在しないように、一見すると有益な知識と知恵が詰まったように思える情報にも消化困難な不純物や有害な添加物が含まれています。情報を日々大量に吸い込み続ければ、いつかこれらの副作用で歪んで病気になってしまいます。無計画になんでもかんでも貯め込み続ければ、肥満や便秘のような状態を引き起こします。情報摂取過多のデメリットは認識しておかないといけません。

そして、自然排泄できる限界を超えてしまうと、不健全な形で外部へ放出してしまう怖さがあります。例えれば、下痢や嘔吐で無理矢理吐き出しているようなもので、本人は一時的にすっきりしても、周囲には害悪を巻き散らす厄介な行為になってしまいます。

なので、吸い込んだ情報の中から、燃えカスはスムーズに脳内から排泄し、栄養分は吸収した上で吐いていくことが有効だと思います。最初は未熟なのでうまくいかなくても、鍛錬を続ければ、自分も気持ち良くて、他人にも無用な危害を加えない上手な吐き出し方が身に付いていくと思います。辛い秘密や闇を抱えている不健全な人は、やっぱり漂わせている雰囲気がよくありません。生活習慣病になる前に対処が必要と思います。

ツイッターやフェイスブックやインスタグラムの投稿が盛んなのは、世の中吐き出す行為をしたい人が多いからだと思います。吐き出し方がおかしくて暴走したり、特定の個人を袋叩きにする最近の風潮は嫌ですが、一方で「価値のない情報を発信するゴミは消えろ」とか「雑魚は黙っていろ」という風に変に浄化されるのも危険だなあと思います。

洪水のような情報の中から鮮度の高い生きた情報だけを取捨選択して取り込めばいい、という助言も聞きますが、そのような高度なリテラシーを持ち合わせている人は多くはありません。私は、自分にとって必要な情報だけを取り込むという姿勢は逆に危険だと考えます。自分のスクリーニング能力を過信し過ぎだと思うし、自分の価値観では許容できない情報を切り捨てる態度を続けていると、広がりが制限されると思うのです。だから、現段階では、私は情報の雑食に徹してトライ&エラーを繰り返しながら、上手な吐き方、捨て方を覚える方に舵を切っています。

ある方から聞いた言葉を私なりに咀嚼して、実践しています。

● 溜め込まない為に、吐き続けることが大切である。
● 吐くことで成功と失敗を繰り返していれば、吐く技術は向上する。
● マイナス(ー)を吐かなくなると、夢や希望が「叶」う。

noteで吐いている内容はまだまだ稚拙です。吐き方はまだまだ修業が必要です。三歩進めば二歩下がる時もあるし、停滞状況が続くことも当たり前です。しかし、吐かなくなれば、叶うこともないと踏ん張ってきましたし、これからも続けていこうと思います。

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