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アメリカを振り返る

アメリカ生活で感じたこと

私を知る人は、私が「アメリカかぶれ」であると考える人が少なくありません。否定はできません。私の強い海外志向が、子どもの頃から触れてきたアメリカ文化に強く影響を受けていることは間違いありません。

四年間のアメリカ生活は私の一生の宝物であり、もしもその幸運に恵まれなければ、私の会社員人生は、もっともっと味気ないものになっていたでしょう。価値観ももっと閉じたものになっていた可能性が高いです。

一方で、アメリカで過ごす内に、外側から眺めているだけではわからない「途轍もない闇を抱えてる社会だなあ」と痛感することもありました。人種差別、貧富の格差は依然として深刻な問題ですし、日本以上にそれぞれのコミュニティが分断されていて、普段の生活では互いに交わらないように暮らしています。言論の自由は正当性と腕力が強い人たちが独占している印象も受けました。

私見〜アメリカ的なもの

私が実際に接した多くのアメリカ人が、公正さ(fairness)や率直さ(honesty)、開放的であること(openness)、無垢であること(inocence)を愛していて、建前と本音を使い分けるDouble Standardを嫌う傾向を持っていることは感じました。こういった特性が寛容的に発揮されている場合は、付き合っていて心地良い人達だなあと感じました。

ところが、自分達が優位なポジションに付けないことが明白になると、感情を害し「フェアではない」という主張を始めたり、途端に関心を喪う方向に向かうことにも気付きました。自分達の実力が相手よりも劣っていることが認められず、ルールや仕組みを変更しようとしたり、酸っぱいぶどうの論理よろしく、あれは自分達とは関係ないからどうでもいい、と関与を拒否したりする姿勢に転換したりするのです。

会社のある先輩が『中学二年生くらいの精神年齢のまま大人になった国』と言っていました。言い得て妙だなと納得します。

エリートが‥

エスタブリッシュと呼ばれる社会上層部の支配層エリートに属する人達と直接知り合った経験は殆どないので、その思考回路は想像するしかありません。アメリカ国内には恐ろしく知能が高くて謀略的な少数の利益集団が暗躍して支配者層を形成し、大衆を支配しているのではないか、という気配は感じていました。私身近にいたアメリカ人にも、そういう層に嫌悪感を持っている感じの人もいました。

「小さな嘘はばれて糾弾されるが、大きな嘘は合理的に事実になる」「人を衝動的にひとり殺せば犯罪者だが、計画的に大量に殺せば英雄」という非情の論理がまかり通る土壌は、アメリカにも確実にあったように思います。

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