金曜日の随筆:固定観念を考える

また運命を動かしていく金曜日が巡ってきました。2020年のWK32です。本日は、情報収集が不十分で自分の中で検証しきれていない問題です。『固定観念』にからむ考察です。

固定観念(こていかんねん)
心の中にこり固まっていて、他人の意見や周りの状況によって変化せず、行動を規定するような観念。固着観念。ー大辞林第三版

季節の変化についての固定観念

長く続いた梅雨を抜けると、一気に気温が上がり、ここ数日は蒸し暑い日が続いています。いきなり夏本番に突入してしまったようです。

私は「季節が移り変わる時は、徐々にうっすらと変化していくものだ」というイメージをずっと抱いていました。しかし、それは錯覚で、私自身の固定観念になっていただけではないか…… と疑問に思うようになりました。

というのも、今年の梅雨から真夏への変化もそうでしたが、天候や陽気が、ある時突然、急激に変化するように感じる経験が増えているからです。自分の感覚とは合わないのです。

「ゆっくり」「突然」は程度問題で、多分に主観的な感覚を含んでいます。「急激に」「変化」「季節」も、万人にとって説得力のある定義でもって説明することが難しいものがあります。

私は、「季節が突然変わる」ことを、学術的定義に基づいて科学的に証明したい訳ではありません。考えたいのは、『私はこれまでなぜ、「季節はゆっくりと移り変わるもの」と思っていたんだろう?』ということなのです。

季節は移る?

理由の一つは、季節の変化を表現する際に「移る」ということばが充てられるからかもしれない、と思いました。私は「移る」ということばからは「急激に変化する」というニュアンスを感じません。私の言語感覚では、「移る」ものである季節が、急激に変化するとは結び付かなかったということになります。

関心のないことを真剣に考える?

もう一つの理由は、「季節が移り変わる」ことに興味がなかったから、ということです。私は、「季節はゆっくり変わる」という自分の固定観念を見直して、「季節は突然変わる」派に鞍替えするつもりです。世の中的には、季節がゆっくり変わろうが、突然変わろうが、真剣に考えもしないし、答えを知った所で別にどっちでもいい、と思う人が大半でしょう。

季節が変化することは、日常生活に甚大な影響を及ぼすほどの大問題ではありません。気温の変化は着る服で調節したり、エアコンなどの機械を使ったりして解決が可能です。先人の知恵や長年の経験で、春にやること…… 夏にやること…… と習慣化されて蓄積されています。固定観念は固定観念のまま修正する必要はないのです。

ショートカット機能を使い過ぎている

この「季節はゆっくり変わるのか、突然変わるのか?」という問いを考えている内に思ったことがあります。それは、私は、新しい知識や情報を学んで理解する時に、自分の持ち合わせている固定観念を「ショートカット機能」として使い過ぎてしまっているのではないか ということです。

素直な、まっさらな気持ちで話を聞くことは非常に難しいものがあります。今日の成果は、ある意味どうでもいいテーマをnoteに書いて整理したことで、自分の信条、考え方、価値観、嗜好といったものが、固定観念で出来上がっているのだ、ということを再認識した、ということです。

安易にショートカット機能ばかりに頼らず、丁寧に理詰めで考える習慣も取り入れようと思います。



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