見出し画像

'80s Musicを理解するキーワード③:MTV

また運命を動かしていく金曜日が巡ってきました。2024年のWK19、皐月の参です。

2024/5/25にとあるイベントに"DJMARK"として登場し、80年代の洋楽の名曲を紹介する時間を頂けることになっています。DJと言っても、円盤を派手に回すのではなく、1970‐1980年代のラジオのDJ(=Disk Jockey)をイメージしたスタイルで行います。イベントには、80年代の洋楽をオンタイムで体験していない若い世代も来られるとのことなので、80年代の洋楽を象徴するキーワードとともに、ロックおじさんの風情で恥ずかしげもなく、自説を披露したいと考えています。私の考えるキーワード、第3講は、『MTV』です。

映像と音をセットで味わう時代

80年代の音楽シーンは、『MTV』抜きでは語れません。大物、ベテラン、中堅、駆け出しの新人、ほぼ全てのアーティストがプロモーションビデオ(PV)を制作し、新曲とセットでリリースされました。そのPV(ビデオクリップとも呼ばれていた)を24時間ひたすら流し続けるケーブルチャンネルが、1981年8月1日に開局したMTVです。ヒット曲が映像の力とより結びついていくのが、80年代の音楽シーンだったように思います。

私の音楽体験は、ほぼPVを通じてのものです。当時好きだった楽曲は、PVの映像と結び付いて記憶に刻まれています。洋楽初心者だった1982〜1984年頃、好きなアーティストのアルバムを買ったり、ラジオでエアチェックしたりして、地道に楽曲や知識をストックしていきましたが、テレビの音楽番組は、私にとって未知のアーティストや楽曲を発見する貴重な情報源になっていました。本場のMTVは観られなくとも、日本でも海外のアーティストのPVを流す番組が数多くありました。

その草分けは今もBS朝日で続く長寿番組、『ベストヒットUSA』でしょう。毎週土曜日の深夜、小林克也氏の軽快なDJとエピソード語りを心待ちにしていました。また、短い間でしたが、金曜日の深夜にサンTVでやっていた『SONY MUSIC TV』には大いに影響を受けました。平日の夕方には、サンTV制作の『POPベティハウス』にも随分とお世話になっていました。DJのクッキーさんは、今も元気にされているでしょうか。

MTVの申し子

ビデオクリップの普及によって、アーティストの人気がブーストするケースも少なくありませんでした。スーパースターとして不動の地位を築いたマイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナも、その魅力的なビデオクリップの数々が、知名度・人気を一段も二段も押し上げたことは間違いないでしょう。

中でも「MTVの申し子」とも言うべき存在は、英国バーミンガム出身の五人組ダンスロックバンド、デュラン・デュラン(Duran Duran 1978-)でしょう。バンド名は、1968年のSF映画『バーバレラ Barbarella』に登場する悪役名にヒントを得て名付けられたとされます。メンバーのサイモン・ル・ボン(Vo)、ニック・ローズ(Key)、ジョン・テイラー(B)、ロジャー・テイラー(Ds)、アンディ・テイラー(G)は、ルックスに恵まれ、アイドル的人気も絶大でした。

1981年にミニアルバム『デュラン・デュラン』でデビューし、『プラネット・アース Planet Earth』『グラビアの美少女 Girls on Film』がヒットして、ニューロマンティックムーブメントの旗手として脚光を浴びることになりました。そして翌年発売のセカンドアルバム『リオ Rio』が世界的に大ヒットし、一躍スターの地位に昇り詰めました。

彼らのダンサブルでキャッチーな音楽と並び、注目を集めたのが、ストーリー仕立てでメンバーの魅力を強調したビデオクリップでした。数々の名作を生み出してきたオーストラリア人の鬼才、ラッセル・マルケイ(Russell Mulcahy1953/6/23- )が作り出した初期デュラン・デュランのビデオクリップは、MTVのベビーローテーションとなり、彼らのブレイクに大いに貢献しました。

私が、『ベストヒットUSA』で、一番最初に観た洋楽のビデオクリップは、彼らの『ハングリー・ライク・ザ・ウルフ Hungry Like the Wolf』です。40年以上前の出来事ながら、ブラウン管を通して受けた衝撃は今でも鮮明に覚えています。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。