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『脱成長』をまた考えてみる

本日は、最近の重要なテーマとして考え続けている『脱成長』について、現時点で思う所のupdateを残しておこうと思います。

『脱成長』を考える、再び

『脱戦略』は、2021年に入ってから既に6回も記事にしてきたテーマです。時代のキーワードとして、しばしば話題になることばになってきています。『脱成長』=”成長することを諦める”、”成長することを敵視する”、というネガティブな態度と受け取られ、誤解と反発を巻き起こす微妙なことばであることを改めて思いました。

今回、もう一度フラットに考えてみようと思ったきっかけは、『荒木博行のbook cafe』の2021年8月17日、18日のVoicyで、セルジュ・ラトゥーシュ『脱成長』(文庫クセジュ)をベースにflier社(荒木氏がアドバイザーを務める本の要約サービスを提供する会社)で働く、牧瀬氏・田中氏を招いて対談しているのを聴いたことです。

『成長』ということばの捉え方の違い

『脱成長』ということばをテーマにした議論がすれ違いがちなのは、『成長』ということばから受け取るメッセージや抱いているイメージが、個人によって極端に異なっていることが影響しているからかもしれません。

脇目もふらずに量的向上だけを追い求める『成長』には、疲労感や嫌悪感を抱く人が増えている一方、質的向上を追い求める『成長』には、好意的で人間として不可欠な行為、プラスのイメージを抱く、というパターンが多い気がします。いきなり、『脱成長』と結び付き易い社会主義・共産主義への徹底的な批判の論考がはじまるケースも目にします。

経済成長が、人々の生活水準の向上に恩恵をもたらしているように見えた時代も確かにありましたが、十分に利便性が行き渡り、問題解決も進んでいる日本では、これ以上自然環境や社会的弱者に犠牲や負担を強いながら、経済成長に突き進むことに、何の疑念も抱かない方が難しいだろうと思います。

生産の為の生産、消費の為の消費、生活の為の生活…… 何の為に生きているのか、何の為に働いているのか、まるでディストピアの中で生きているかのような気持ちに、30代以下の若い世代はより強く感じるのかもしれません。成長礼賛主義は影を潜めています。

持続可能な発展(sustainable development)の思い出

『脱成長』とセットで取り上げられ、最近注目されるようになったことばに、持続可能性~サステナビリティがあります。持続可能な状態を保つという考えは、個人的には好きな概念ではあるのですが、『社会全体の目標』という捉え方は、眉唾にも感じて、複雑な気分になります。

sustainable/susutainablityという英語に私が初めて出会ったのは、米国駐在中の時です。今でも続いているかもしれませんが、米国鉄鋼関係者が大勢集まってニューヨークで毎年開催される『SSS』という有名なシンポジウムがありました。

このSSSが曲者で、聞いた所では、米国鉄鋼業界が瀕死の状態に喘いでいた2000年代前後には、”Steel Survival Strategy”という語が当てられていたようです。米国鉄鋼業がどうやって生き残るかという観点でのセミナーやワーキンググループが開かれていた訳です。

その後、鉄鋼メーカー同士の統合が相次いでやや持ち直した時期には、Steel Success Strategyという名称に変わりました。私が所長の代理でSSSに出席したのはこの時でした。投資銀行やファンド関係者が、経営の効率性向上の投資や業界内の設備集約、合従連衡を促すもっともらしいプレゼンが相次ぎ、おカネの匂いがプンプンしていました。

そしてある時期からは、Steel Sustainable Strategyという名称へと変貌を遂げていました。Survivalも、Successも、強い印象を与えるということばです。「闇雲な成長(設備増強)は目指さず、鉄鋼業界の安定的発展を目指していく」という、マイルドで、現実的な姿勢を示す狙いなのかもしれません。

『脱成長』が描く社会変容は?

『脱成長』が多くの人の心を捉えはじめている一因に、
● 経済成長を前提に社会が運営されることによって、自分自身に突き付けてこられるプレッシャーが辛く、疑念を感じる、
● 各地での自然環境破壊が可視化されることで、人類としての罪悪感と責任感が芽生える、
● 社会的勝者と敗者による著しい経済格差の拡大に心を痛める、
といったことが考えられます。今のシステムは限界であり、社会変容が必要である、という問題意識を持つからだろうと思います。

そして、それらの問題が資本主義の持つ特質、自由競争の領域が拡大されることから生まれている、と感じる人も増えているのだと思います。

古くて新しい問題のような気もします。何度も何度も揺り戻されるということが重要な問題であることを物語っています。マルクスが解明した資本主義の正体の見方は、おそらく正しい。

社会変容に向けたムーブメントは、どう推移するでしょうか。過去に挫折したマルクス=レーニン主義の復興の方向には向かわないでしょう。マイナーチェンジですむのか、根本の価値観を揺るがす大変革が起こるのか、起こるとすればどういう条件が整った場合か、潮流がどう向かっていくのか、追いかけていきたい気がします。

★追記
2021年9月1日のVoicyで、荒木氏は、リスナーからのコメント返しにあった『脱思考停止に陥らない』という態度を支持したい旨のコメントをされていました。『脱成長』は、受け取り手の手持ちの価値純に照らし合わせて思考停止させやすいことばだと思います。荒木氏の視座・姿勢は重要だと思います。


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